Weekly Go 豪
負け犬の遠吠え 友の会シドニー支部

 

Friday, April 28, 2006

其の14 捕鯨問題 差異の尊重を

 捕鯨問題 差異を尊重してこそ
(これは、2005年7月8日 シドニー週刊新聞ジェンタに掲載されたもに加筆修正したものです)
 
 私がシドニーで支局長をしている時、ロブスターを生きたまま刺身にして食べるのが禁止になった。それは、ロブスターには、痛みがあり、数秒以内で一気に殺してから食べるというお触れが出された。そういう食べ方は一種の拷問であって、ロブスターも安楽死の対象とするというのが、その法律の精神であったと思う。ロブスターのペット化という考えである。

 韓国で開催された今年の国際捕鯨委員会の年次総会は、内外ともに例年以上に騒がしい総会だったような気がする。 日本が提出した原住民生存捕鯨を認める決議案が否決され、日本が表明した、調査捕鯨の再拡大方針に対してオーストラリアが提出した撤回を求める決議案が可決された。 

 巷では、「原住民生存捕鯨」基地の和歌山県では、試食を重ねた結果、学校給食での鯨肉の使用を再開した。また北海道では、ファーストフードチェーンが鯨バーガーを発売し、海外の環境・動物保護団体のひんしゅくを買った、等が伝えられている。

 そこへ、オーストラリア北西部の町ブルームにある日本人墓地で、40基以上の墓石が破壊され、高さ1メートルほどの墓石が中央部で真っ二つに切断された。日本の調査捕鯨拡大への怒りが原因ではないかと言われている。坊主憎けりゃ、袈裟までも・・となってしまったのは残念だ。 

 国際捕鯨委員会での決議案の採決状況を見る限り、次第に商業捕鯨解禁派がモラトリアム継続派を票数で追い上げ、再来年あたりの年次総会では逆転現象がみられる流れになっている。逆転しても、商業捕鯨は解禁にはならないが、逆転現象を間近にして商業捕鯨解禁派へのいらだちが強まっているのは確かだろう。

 そもそも、1853年のペリー提督が日本に黒船できて、幕府に開国を迫った理由の一つは、日本近海にきていた捕鯨船員の保護と食料調達のためだったのは、ご存じだろうか。そして、戦後は戦後で、日本政府の要望に応えたマッカーサー最高司令官が、「今の日本に食糧自給が必要」と、英、オーストラリア・ニュージーランド・ノルウェー四カ国の反対を押し切って、1946年に母船式捕鯨を再開させた。その後、鯨資源の乱獲による枯渇で、1982年に、1987年からの商業捕鯨中止(モラトリアム)がIWCで採択された。日本も、鯨を取り巻く流れの中で、揺さぶられてきた。

 その流れの中心になったのは、1970年代半ばから、グリーンピースの反捕鯨活動に象徴される、鯨全体を高等生物として、捕獲・殺害を禁じるペット扱い的考えだった。モラトリアム継続派、商業捕鯨再開派双方各種主張には、アデレード会議から今回の韓国の会議を通じて、双方とも決め手を欠き新たな論点を見いだしていない。

 私が恐れるのは、両派勢力拮抗により、行動が先鋭化することである。もっともっとお互いの考えに差異を認める方向に行かない限り、この鯨問題も形の悪い文明の衝突に終始することは避けられない。短絡的に墓を倒したところで、それは死者に対する拷問に終わるだけである。

Thursday, April 27, 2006

其の13 冷 汗 三 斗

(これは2005年7月1日号のシドニーの週刊紙「ジェンタ」に掲載された記事に若干加筆したものです)

 テレビ朝日のバンコク支局長時代の話だ。
 

 北スマトラ沖で起きた、日本の大型タンカー同士の衝突事故を至急取材せよという東京本社の指示で、私はマレーシアに直行した。
 
 バンコクを出発する前に、クアラルンプールの友人Tさんに、プロペラ機のチャーターを依頼しておいた。さて、空港で待機するが、なぜか私がチャーターした飛行機にだけ、離陸許可がおりない。不運!! インドネシア側が着陸許可を出さない。

 悪いことに、東京各社がチャーターしたジェット機が取材を終えて戻ってきてしまって、すでに自前の映像を東京から出している。第一報をさらわれたのは、現場を預かる支局長としては耐えられない。差は歴然とついた。東京のデスクも本気で怒鳴りつけてくる。各社のチャーター機が戻ってきてから、我が社に離陸許可がでた。が、それからでは帰りが日没にかかるので飛行できず、結局翌日の明け方を待って離陸した。
 

 快晴のマラッカ海峡。給油のため立ち寄ったバンダアチェの空港を後に現場海域へ。マラッカ海峡、アンダマン海、インド洋・・事故現場はそういう海域の接点であった。洋上の油の帯をたどっていくと、船上火災がはっきり見えた。わがプロペラ機は100メートルまで降下し、しかも後部の床のハッチが開けた。船火事の迫力が迫ってくる。その上、機長兼社長も、親身になって命綱をもって協力してくれたおかげで、半身を乗り出して実況も出来た。

 帰途、機長ははやる私の気持ちを理解して、空路を若干逸脱気味で最短距離を飛行してくれた。迫力ある映像が、クアラルンプールから衛星で東京へ。現場上空300メートルまでしか降下できず、窓も開けられないジェット機のガラス越しの映像とは違った映像が出たはずである。本社も少しは溜飲を下げたようだった。夕方ホテルに電話がかかってきた。「明日も飛んでくれと、ニューステーションは言っています」「よし、わかった」

 次の日、低気圧の接近で、現場上空は曇り。消火活動のおかげで、船火事は鎮火した。鉛色の海に浮かぶタンカーの映像を、海難事故の続報として衛星で東京に送った。東京本社から、「明日バンコクへ帰任を」という指示をもらった。私は出遅れたが、何とか死球で出塁した感じだった。

 翌朝10時頃、ホテルのチェックアウトのため部屋で準備していると、電話がなった。嫌な予感がした。「また残れ!」というのか。

 受話器を取ると、例の友人Tさんの声だった。
 「昨日まで北村さんが乗っていた飛行機が、今朝スマトラ島で消息を絶ちました」 命綱を持ってくれた機長兼社長も亡くなった。

 東洋の箴言は、「命と申す物は一身第一の珍宝なり」という。あの日以降を助かった命と思い、なお一層、私は一生懸命生きることにした。

Wednesday, April 19, 2006

其の12 雑談:皆既日食

Posted by Picasa
 2006年3月29日、アフリカ北部から地中海を通ってトルコへぬけ、ロシア・シベリアに至るまでのルートで皆既日食が見られた。もっと正確に言えば、ブラジルの端っこの日の出から始まり、大西洋を横断して、モンゴルの日没で消えた。南極を除き陸上で観測できる皆既日食としては三年半ぶりだった。皆既の継続時間は四分少々という好条件だ。かつて喜劇映画で、「皆既日食の間では、とても恋に落ちることは出来ない」といった科白(せりふ)があったが、四分で女性を口説ける達人はいるのか。

 私は、シドニー天文台に予約をして、日本から来た女子中学生を連れて行った。トルコとの時差の関係で、こちらで見られたのは夜10時頃からだった。上の写真は、NASAが中継するウェブキャストの映像である。その子は 天文好きの柴田明子ちゃんという中学生だが、喜んでもらったと思っている。ついでに、その日の夜は、天文台のおじさんは、土星と木星を、天体望遠鏡で見せてくれた。

 今年はあと9月22日に、南アメリカ東部から大西洋を縦断する金環日食が7分9秒も見られる。口説ける時間も長くなるのだ。ただ、陸上で見られるとは、必ずしも限らない。その時は、海上にでかけて波に揺られながら、相手を口説く必要もあるのだ。


 昔から日食に迷信はつきものだった。1983年6月、インドネシアで皆既日食がみられた。日食はラーフという怪物が太陽を食べることから起きるので、特に妊娠している女性が日食を見ると斑模様の赤子が産まれると、ジャワ人は信じてきた。政府は、国民の目を悪くしないようにという配慮から、皆既日食をテレビで見るようにと広報したが、それでも、日食の際に妊娠女性はベッドの下などに隠れたという。

 今回の日食で一番のポイントは、トルコだった。
 トルコの国旗の新月がクロワッサンを作るきっかけになったという話は大変有名だ。「クロワッサン」の語源は、「クレッセント」(三日月)から来ているのは間違いないとしても、この話の真偽は、民主党の永田議員が日本の国会で追求した「メール問題の出所」と同じくらい真っ黒である。

 約250年間もの長い間拡大を続けたオスマントルコ帝国は、1863年のウィーン包囲攻撃を最後にオスマントルコ帝国は屈辱的な敗北した。ウィーン陥落を最大の目標に16年も戦ったオスマントルコ帝国。このウィーン包囲攻撃が、クロワッサン誕生のきっかけと言われているのだが。

 夜も明けぬある朝、あるパン屋がパン作りをしていると、遠くから奇妙な音が聞こえてきた。パン屋はその音がオスマントルコ軍によるトンネル掘削ではないかと思い、味方の軍隊に急報。このおかげで、オスマントルコ軍によるウィーン包囲攻撃に幕を閉じた。その後、パン屋はオスマントルコ軍への勝利を味わうために、オスマントルコ軍のシンボル・新月(三日月)型のパンを作った。人々はそのパンの噂を聞き、クロワッサン人気が急速に高まったという。

 二〇世紀にフランスの料理本にクロワッサンの調理法が現れる以前のレシピは一切現存していないということで、これは民主党の永田議員の作り話と同じだった。
 
 私自身は、ベトナム支局勤務中の1995年10月24日だったと記憶するが、ベトナム南部のファン・ティエットで見た。皆既日食は荘厳だ。昼が暗くなる。あのベトナムでも気温が下がった。コロナが見える。まさに荘厳な体験をさせてもらった。 私が少年の時、割れた硝子を拾ってきて、蝋燭で炙って煤をつけ、黒くしてから日食を見たのを思い出した。

 月は45億年前に、他の天体と衝突した地球の破片から誕生したと言われる。月は、徐々に地球から遠ざかっている。先の先には、月明かりなど見られなくなるのかも知れない。

 2001年~2100年の100年間に地球上で起こる皆既日食は、75回(金環皆既食七回を含む)。一.三三年に1回の割合だ。皆既日食の最大継続時間は2009年の日食で、六分三九秒。奄美大島等で見られるが、残念ながら最大継続時間が見られるのは太平洋上だ。第二位は2027年で、皆既継続時間は六分二三秒。エジプト東部で見られる。第3位は2096年の日食で六分〇七秒。白昼の暗い時に女性を口説こうという後世の皆さん、祈るご成功。


Friday, April 07, 2006

其の11 当世風アナウンサー

  久しぶりに日本に帰って、アナウンサーをしていた当時の仲間に会った。「最近の若い者は誤読が多い・・」 また若者バッシングが始まったかと思った。だが、ほんとうにたまげた、のである。ぼやきが多いのも無理からぬことだった。書き出してみる。括弧内は間違った読み方だ。 

 伊達巻き(いたちまき)=こんなもの食えるか。海の藻屑(うみのもずく)=本来食い物じゃないんだ。他人事(たにんごと)=ひとごとと思ってる人に限って犯すミスだ。画竜点睛(がりゅうてんせい)、古文書(こぶんしょ)、馬場先門(ばばせんもん)江戸の勉強してほしいよ。借入金(しゃくにゅうきん)、天城山(あましろやま)=近県の旅に出たこともねぇのか。指宿(ゆびやど)=鹿児島のどこにそういう宿があるんだ。上意下達(じょういげだつ)=こんな風に読むようじゃ上の考えが下に伝わっていなんだね。刺客(しきゃく)=小泉さんも、俺こんな者送ってないぞ、と言うだろう。老舗(しみせ)=死期の迫った人がやっている店かい? 宮内庁御用達(くないちょうごようたつ)=先日中国製の菓子箱に、宮内庁御用と言う表現があったが、如何に嘘かわかる。紅葉狩り(こうようがり)=風情がないね。旧中山道(いちにちじゅうやまみち)、と、まあ、出るは、出るは・・・。
 
 こういう誤りが多数派の時代になると、正しいことを言っている人が指摘を受ける恐れが出てくる。  間違いは放送だけではない。新聞も然りである。一例に過ぎないが、「刺されて重体の老人死ね」も、そうだ。「刺されて重体の老人死ぬ」とやったつもりが、誰も気づかぬまま、発刊されてしまった。悪気はなかったろうが、人権問題だ。 
 
 こんな話をしているうちに、「この間赤城山に観光にいったらね・・」と切り出した元女子アナがいた。 「観光バスガイドが、『赤城の山も、今屑(いまくず)かぎり』って言ってたわよ」という。今宵の宵と『屑』では大違いだ。最初から、間違ったまま覚えたとしか思えない。誰も気づかず、誰も注意してあげなかったのか。そもそも、「いまくず」とは、何なのだ。意味が通らない言葉を丸暗記して、不思議に思わない世の中になってきているのも恐ろしい。

 しかも、仮に「赤城の山も今宵(こよい)限り」と言ったとしても、「赤城の山も、今宵を限り」が正解だ。 国定忠治も驚いたろう。「生まれ故郷の国定の村や、縄張りを捨て國を捨て、可愛い乾分の手前たちとも、別れ別れになる首途だ」と続く忠治のその後の科白は、もうおっかなくて聞いていられない。 

 斯く言う私も、アナウンサー駆け出しの頃に、大失敗がある。風邪をひいて目に涙を浮かべて西部劇の予告を読んでいた。「来週は、西部の荒野の若者が・・」となっていた原稿の「若者」が、「芸者」に見えてしまった。アナウンス室に戻ったら、視聴者からの電話が殺到していた。「西部に芸者がいるのかよ・・」   

 ミスにもレベルはあるが、ひたすら読書し基礎知識を育み、油断や先入観を排除し、先輩に聞いていくしかミスをなくす方法はないと思った。

Thursday, April 06, 2006

其の10 お粗末 永田議員

*これは、3月18日のシドニー週刊新聞「ジェンタ」に上梓したものです。
 
 悪質な国会質問だった。民主党の永田寿康議員は、「昨年の衆議院選挙の際、ライブドアの前社長が自民党幹事長の次男に3千万円振り込むように指示したメールがある。金で魂を売っている」と、声高に自民党を追求した。

 小泉首相は、「ガセネタ」と一刀両断。東京地検も、「把握していない」と、異例の発表をして、雲行きはにわかにおかしくなってきた。

 やがて、永田議員が衆議院予算委員会で、振り上げて追求した証拠のメールの送信者と受信者が同一人物であり、情報を議員に持ち込んだ人物は、N・Tという札付き記者であることが明白になってきた。

 なぜ、持ち込まれた情報を議員自ら納得のいくまで検証しなかったのか。

 そこに、永田議員の人柄を解く鍵がある。東大卒の元大蔵官の僚永田議員は、ミスター懲罰という別名があるほどの札付き議員だ。二〇〇〇年には、衆院本会議場でのヤジをめぐり、自民党の松浪健四郎衆院議員からコップの水をぶちまけられた相手だ。最近では、耐震偽装問題で「住民は火を付けたくてしようがない」などと発言したとの報道もある。議員歴6年で、5回もの懲罰動議を出されている。5回の内容をいちいち紹介する紙幅はない。

 彼の行為は国民のための議論ではない。売名行為という醜い根性がそこに見えている。「一本取ってやろう」・・そういう神経が働いたに違いないのだ。

 この騒動の渦中に、私は東京永田町の総理官邸の近くのホテルに泊まっていた。雲隠れした民主党の永田寿康議員が、そのホテルにいるとにらんで、テレビ局のカメラマン、記者が連日ホテルの出入り口に張り込んでいた。

 やがて、退院して記者会見で謝罪。が、それが全く謝罪になっていないのだ。「『永田劇場』あまりに稚拙」とこき下ろした読売新聞。けじめとはほど遠い謝罪。議員辞職を表明していた同議員の辞職はなし。「本物ではない」とした民主党の声明に対して、本人は「一部事実を含む」という歯切れの悪いずるさ。保身しかないのだ、この男には。

 こういう人が、党員資格停止の処分を受けても、議員報酬をもらっていることに、われわれは寡黙でいいのだろうか。なおかつ、議員辞職をさせることも出来なかった民主党には、昨年の総選挙に引き続き大失望を感じた。党も党なら、議員も議員だ。議員辞職もせず次ぎの選挙に出馬したら、千葉の有権者に断罪をして頂くしかない。

 最大野党のよってきたるところは、政策で勝負し、政治改革、政界浄化のための力を遺憾なく発揮して、政権の受け皿になりうる力を備蓄しておくところにある。このドタバタ劇は、なんという醜い芝居だったのか。さももっともらしく国政調査権の行使を要求して真相を追求しようしたが、根拠が崩れてみると、単なるガセネタ男に成り下がっていた。

 政界の真の爆弾男は、野党からしか生まれない。爆弾男にもなりえず、「民間人を傷つけた自爆議員」のレッテルが、このガセネタ男の上にさらに貼られた。こういう男が、野党から生まれたのだ。民主党の再建は、日暮れて道遠しだ。


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