其の12 雑談:皆既日食

2006年3月29日、アフリカ北部から地中海を通ってトルコへぬけ、ロシア・シベリアに至るまでのルートで皆既日食が見られた。もっと正確に言えば、ブラジルの端っこの日の出から始まり、大西洋を横断して、モンゴルの日没で消えた。南極を除き陸上で観測できる皆既日食としては三年半ぶりだった。皆既の継続時間は四分少々という好条件だ。かつて喜劇映画で、「皆既日食の間では、とても恋に落ちることは出来ない」といった科白(せりふ)があったが、四分で女性を口説ける達人はいるのか。
私は、シドニー天文台に予約をして、日本から来た女子中学生を連れて行った。トルコとの時差の関係で、こちらで見られたのは夜10時頃からだった。上の写真は、NASAが中継するウェブキャストの映像である。その子は 天文好きの柴田明子ちゃんという中学生だが、喜んでもらったと思っている。ついでに、その日の夜は、天文台のおじさんは、土星と木星を、天体望遠鏡で見せてくれた。
今年はあと9月22日に、南アメリカ東部から大西洋を縦断する金環日食が7分9秒も見られる。口説ける時間も長くなるのだ。ただ、陸上で見られるとは、必ずしも限らない。その時は、海上にでかけて波に揺られながら、相手を口説く必要もあるのだ。
昔から日食に迷信はつきものだった。1983年6月、インドネシアで皆既日食がみられた。日食はラーフという怪物が太陽を食べることから起きるので、特に妊娠している女性が日食を見ると斑模様の赤子が産まれると、ジャワ人は信じてきた。政府は、国民の目を悪くしないようにという配慮から、皆既日食をテレビで見るようにと広報したが、それでも、日食の際に妊娠女性はベッドの下などに隠れたという。
今回の日食で一番のポイントは、トルコだった。
トルコの国旗の新月がクロワッサンを作るきっかけになったという話は大変有名だ。「クロワッサン」の語源は、「クレッセント」(三日月)から来ているのは間違いないとしても、この話の真偽は、民主党の永田議員が日本の国会で追求した「メール問題の出所」と同じくらい真っ黒である。
約250年間もの長い間拡大を続けたオスマントルコ帝国は、1863年のウィーン包囲攻撃を最後にオスマントルコ帝国は屈辱的な敗北した。ウィーン陥落を最大の目標に16年も戦ったオスマントルコ帝国。このウィーン包囲攻撃が、クロワッサン誕生のきっかけと言われているのだが。
夜も明けぬある朝、あるパン屋がパン作りをしていると、遠くから奇妙な音が聞こえてきた。パン屋はその音がオスマントルコ軍によるトンネル掘削ではないかと思い、味方の軍隊に急報。このおかげで、オスマントルコ軍によるウィーン包囲攻撃に幕を閉じた。その後、パン屋はオスマントルコ軍への勝利を味わうために、オスマントルコ軍のシンボル・新月(三日月)型のパンを作った。人々はそのパンの噂を聞き、クロワッサン人気が急速に高まったという。
二〇世紀にフランスの料理本にクロワッサンの調理法が現れる以前のレシピは一切現存していないということで、これは民主党の永田議員の作り話と同じだった。
私自身は、ベトナム支局勤務中の1995年10月24日だったと記憶するが、ベトナム南部のファン・ティエットで見た。皆既日食は荘厳だ。昼が暗くなる。あのベトナムでも気温が下がった。コロナが見える。まさに荘厳な体験をさせてもらった。 私が少年の時、割れた硝子を拾ってきて、蝋燭で炙って煤をつけ、黒くしてから日食を見たのを思い出した。
月は45億年前に、他の天体と衝突した地球の破片から誕生したと言われる。月は、徐々に地球から遠ざかっている。先の先には、月明かりなど見られなくなるのかも知れない。
2001年~2100年の100年間に地球上で起こる皆既日食は、75回(金環皆既食七回を含む)。一.三三年に1回の割合だ。皆既日食の最大継続時間は2009年の日食で、六分三九秒。奄美大島等で見られるが、残念ながら最大継続時間が見られるのは太平洋上だ。第二位は2027年で、皆既継続時間は六分二三秒。エジプト東部で見られる。第3位は2096年の日食で六分〇七秒。白昼の暗い時に女性を口説こうという後世の皆さん、祈るご成功。
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