Weekly Go 豪
負け犬の遠吠え 友の会シドニー支部

 

Tuesday, January 10, 2006

其の2 アンザック・デー

アンザック・デー 90周年に思う
(これは、ジェンタ2005年5月に掲載された小生のコラムを転載したものです)

 新聞に折り込まれてきたアンザック・デー90周年の特集号をめくっていたら、ガリポリ半島上陸後の戦闘で、オーストラリア兵士が、塹壕でグラムフォンの蓄音機をかたわらに置いて、敵の動きを見張っている写真があった。苦痛を味わった上陸作戦にくらべて、えらく余裕を伺わせる写真だった。蓄音機からの音楽を聴きながらの戦闘行為の写真は初めてみた。

 そもそも、アンザック・デーとは、1915年4月25日に、英仏軍とともに、オーストラリア軍とニュージーランド軍が上陸を敢行した日であるが、このことは、またいつか紙幅を費やして語ることにしよう。

 このオーストラリア軍とニュージーランド軍が、故国を出発して戦地へ向かったのが、1914年10月、11月のことだった。第1次輸送船団を構成したのは、ニュージーランド・ウェリントンからの輸送船10隻とオーストラリア・フリーマントルからの輸送船28隻だった。この船団を護衛したのは、オーストラリアの巡洋艦「シドニー」と「メルボルン」、イギリス艦「マイノートア」、そして、なんと日本の巡洋艦「伊吹」であった。
 当時日英同盟でイギリスと同盟関係にあった日本は、3万を載せた第1次船団をインド洋でドイツの攻撃から守る任務をイギリスから依頼された。
 1914年11月2日、フリーマントルを出港した船団は、11月25日、コロンボを経由して、無事イエメンのアデンに入港した。「伊吹」はここで、紅海を北上してエジプトのアレキサンドリアに向かう船団と別れて、帰途についた。伊吹の航海日誌には「輸送船隊出港西航ス惜別ノ情盡キス」と書かれていたという。

 当初は、オーストラリア軍とニュージーランド軍は、イギリスで訓練を受けることになっていたが、急遽エジプトのアレキサンドリアに変更され、そこでANZAC軍として編成されたのである。そして、ガリポリ半島に上陸を敢行したが、当初予定した上陸地点には上陸できず、地形の悪い場所に上陸を行った。さらに、そのガリポリ上陸作戦以降は、ご存じの方も多いと思うが、ひたすらイギリスの無謀ともいえる作戦で、多数の死者をだしたのである。
 たまたま、今年インターネットをみていたら、こういうことを書いている日本人がいた。“現在、アンザックデーは、その恩(日本艦による護衛の)も忘れて、日本人を見かけたら生卵をぶつける日であります”と。

 第2次世界大戦の1942年2月19日、240機以上の日本軍の航空機がダーウィンに空爆を行い、600人以上の死傷者をだした。この空爆は翌年11月まで断続的に続いたのである。仮に第1次大戦の時の日本側による恩がオーストラリア側に存在していたとしても、この史実を考えれば、卵の一つや二つを投げられても不思議ではない。国際間の友誼の構築は、一朝一夕では出来ない。また友誼とか友好という無形のものは、一つの暴力行為で簡単に崩壊してしまうものなのである。

来年2006年は、日豪交流年。盤石の友好の基礎を築く絶好のチャンスと思うのである。





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