Weekly Go 豪
負け犬の遠吠え 友の会シドニー支部

 

Thursday, April 27, 2006

其の13 冷 汗 三 斗

(これは2005年7月1日号のシドニーの週刊紙「ジェンタ」に掲載された記事に若干加筆したものです)

 テレビ朝日のバンコク支局長時代の話だ。
 

 北スマトラ沖で起きた、日本の大型タンカー同士の衝突事故を至急取材せよという東京本社の指示で、私はマレーシアに直行した。
 
 バンコクを出発する前に、クアラルンプールの友人Tさんに、プロペラ機のチャーターを依頼しておいた。さて、空港で待機するが、なぜか私がチャーターした飛行機にだけ、離陸許可がおりない。不運!! インドネシア側が着陸許可を出さない。

 悪いことに、東京各社がチャーターしたジェット機が取材を終えて戻ってきてしまって、すでに自前の映像を東京から出している。第一報をさらわれたのは、現場を預かる支局長としては耐えられない。差は歴然とついた。東京のデスクも本気で怒鳴りつけてくる。各社のチャーター機が戻ってきてから、我が社に離陸許可がでた。が、それからでは帰りが日没にかかるので飛行できず、結局翌日の明け方を待って離陸した。
 

 快晴のマラッカ海峡。給油のため立ち寄ったバンダアチェの空港を後に現場海域へ。マラッカ海峡、アンダマン海、インド洋・・事故現場はそういう海域の接点であった。洋上の油の帯をたどっていくと、船上火災がはっきり見えた。わがプロペラ機は100メートルまで降下し、しかも後部の床のハッチが開けた。船火事の迫力が迫ってくる。その上、機長兼社長も、親身になって命綱をもって協力してくれたおかげで、半身を乗り出して実況も出来た。

 帰途、機長ははやる私の気持ちを理解して、空路を若干逸脱気味で最短距離を飛行してくれた。迫力ある映像が、クアラルンプールから衛星で東京へ。現場上空300メートルまでしか降下できず、窓も開けられないジェット機のガラス越しの映像とは違った映像が出たはずである。本社も少しは溜飲を下げたようだった。夕方ホテルに電話がかかってきた。「明日も飛んでくれと、ニューステーションは言っています」「よし、わかった」

 次の日、低気圧の接近で、現場上空は曇り。消火活動のおかげで、船火事は鎮火した。鉛色の海に浮かぶタンカーの映像を、海難事故の続報として衛星で東京に送った。東京本社から、「明日バンコクへ帰任を」という指示をもらった。私は出遅れたが、何とか死球で出塁した感じだった。

 翌朝10時頃、ホテルのチェックアウトのため部屋で準備していると、電話がなった。嫌な予感がした。「また残れ!」というのか。

 受話器を取ると、例の友人Tさんの声だった。
 「昨日まで北村さんが乗っていた飛行機が、今朝スマトラ島で消息を絶ちました」 命綱を持ってくれた機長兼社長も亡くなった。

 東洋の箴言は、「命と申す物は一身第一の珍宝なり」という。あの日以降を助かった命と思い、なお一層、私は一生懸命生きることにした。

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