其の14 捕鯨問題 差異の尊重を
捕鯨問題 差異を尊重してこそ
(これは、2005年7月8日 シドニー週刊新聞ジェンタに掲載されたもに加筆修正したものです)
私がシドニーで支局長をしている時、ロブスターを生きたまま刺身にして食べるのが禁止になった。それは、ロブスターには、痛みがあり、数秒以内で一気に殺してから食べるというお触れが出された。そういう食べ方は一種の拷問であって、ロブスターも安楽死の対象とするというのが、その法律の精神であったと思う。ロブスターのペット化という考えである。
韓国で開催された今年の国際捕鯨委員会の年次総会は、内外ともに例年以上に騒がしい総会だったような気がする。 日本が提出した原住民生存捕鯨を認める決議案が否決され、日本が表明した、調査捕鯨の再拡大方針に対してオーストラリアが提出した撤回を求める決議案が可決された。
巷では、「原住民生存捕鯨」基地の和歌山県では、試食を重ねた結果、学校給食での鯨肉の使用を再開した。また北海道では、ファーストフードチェーンが鯨バーガーを発売し、海外の環境・動物保護団体のひんしゅくを買った、等が伝えられている。
そこへ、オーストラリア北西部の町ブルームにある日本人墓地で、40基以上の墓石が破壊され、高さ1メートルほどの墓石が中央部で真っ二つに切断された。日本の調査捕鯨拡大への怒りが原因ではないかと言われている。坊主憎けりゃ、袈裟までも・・となってしまったのは残念だ。
国際捕鯨委員会での決議案の採決状況を見る限り、次第に商業捕鯨解禁派がモラトリアム継続派を票数で追い上げ、再来年あたりの年次総会では逆転現象がみられる流れになっている。逆転しても、商業捕鯨は解禁にはならないが、逆転現象を間近にして商業捕鯨解禁派へのいらだちが強まっているのは確かだろう。
そもそも、1853年のペリー提督が日本に黒船できて、幕府に開国を迫った理由の一つは、日本近海にきていた捕鯨船員の保護と食料調達のためだったのは、ご存じだろうか。そして、戦後は戦後で、日本政府の要望に応えたマッカーサー最高司令官が、「今の日本に食糧自給が必要」と、英、オーストラリア・ニュージーランド・ノルウェー四カ国の反対を押し切って、1946年に母船式捕鯨を再開させた。その後、鯨資源の乱獲による枯渇で、1982年に、1987年からの商業捕鯨中止(モラトリアム)がIWCで採択された。日本も、鯨を取り巻く流れの中で、揺さぶられてきた。
その流れの中心になったのは、1970年代半ばから、グリーンピースの反捕鯨活動に象徴される、鯨全体を高等生物として、捕獲・殺害を禁じるペット扱い的考えだった。モラトリアム継続派、商業捕鯨再開派双方各種主張には、アデレード会議から今回の韓国の会議を通じて、双方とも決め手を欠き新たな論点を見いだしていない。
私が恐れるのは、両派勢力拮抗により、行動が先鋭化することである。もっともっとお互いの考えに差異を認める方向に行かない限り、この鯨問題も形の悪い文明の衝突に終始することは避けられない。短絡的に墓を倒したところで、それは死者に対する拷問に終わるだけである。
(これは、2005年7月8日 シドニー週刊新聞ジェンタに掲載されたもに加筆修正したものです)
私がシドニーで支局長をしている時、ロブスターを生きたまま刺身にして食べるのが禁止になった。それは、ロブスターには、痛みがあり、数秒以内で一気に殺してから食べるというお触れが出された。そういう食べ方は一種の拷問であって、ロブスターも安楽死の対象とするというのが、その法律の精神であったと思う。ロブスターのペット化という考えである。
韓国で開催された今年の国際捕鯨委員会の年次総会は、内外ともに例年以上に騒がしい総会だったような気がする。 日本が提出した原住民生存捕鯨を認める決議案が否決され、日本が表明した、調査捕鯨の再拡大方針に対してオーストラリアが提出した撤回を求める決議案が可決された。
巷では、「原住民生存捕鯨」基地の和歌山県では、試食を重ねた結果、学校給食での鯨肉の使用を再開した。また北海道では、ファーストフードチェーンが鯨バーガーを発売し、海外の環境・動物保護団体のひんしゅくを買った、等が伝えられている。
そこへ、オーストラリア北西部の町ブルームにある日本人墓地で、40基以上の墓石が破壊され、高さ1メートルほどの墓石が中央部で真っ二つに切断された。日本の調査捕鯨拡大への怒りが原因ではないかと言われている。坊主憎けりゃ、袈裟までも・・となってしまったのは残念だ。
国際捕鯨委員会での決議案の採決状況を見る限り、次第に商業捕鯨解禁派がモラトリアム継続派を票数で追い上げ、再来年あたりの年次総会では逆転現象がみられる流れになっている。逆転しても、商業捕鯨は解禁にはならないが、逆転現象を間近にして商業捕鯨解禁派へのいらだちが強まっているのは確かだろう。
そもそも、1853年のペリー提督が日本に黒船できて、幕府に開国を迫った理由の一つは、日本近海にきていた捕鯨船員の保護と食料調達のためだったのは、ご存じだろうか。そして、戦後は戦後で、日本政府の要望に応えたマッカーサー最高司令官が、「今の日本に食糧自給が必要」と、英、オーストラリア・ニュージーランド・ノルウェー四カ国の反対を押し切って、1946年に母船式捕鯨を再開させた。その後、鯨資源の乱獲による枯渇で、1982年に、1987年からの商業捕鯨中止(モラトリアム)がIWCで採択された。日本も、鯨を取り巻く流れの中で、揺さぶられてきた。
その流れの中心になったのは、1970年代半ばから、グリーンピースの反捕鯨活動に象徴される、鯨全体を高等生物として、捕獲・殺害を禁じるペット扱い的考えだった。モラトリアム継続派、商業捕鯨再開派双方各種主張には、アデレード会議から今回の韓国の会議を通じて、双方とも決め手を欠き新たな論点を見いだしていない。
私が恐れるのは、両派勢力拮抗により、行動が先鋭化することである。もっともっとお互いの考えに差異を認める方向に行かない限り、この鯨問題も形の悪い文明の衝突に終始することは避けられない。短絡的に墓を倒したところで、それは死者に対する拷問に終わるだけである。
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