Weekly Go 豪
負け犬の遠吠え 友の会シドニー支部

 

Tuesday, August 29, 2006

其の48 肥満 2

(この記事は、2006年8月25日付け週刊ジェンタに掲載した記事に加筆したものです)

左のような信号を見たことは? 「肥満」は渡るな 「スキニー」は横断OK。 冗談冗談。でも、こんな信号が街角にあったら-------。

肥満の続編をというリクエストで、再度筆をとった。飢えで死亡者がでているアフリカを尻目に、肥満はあちこちで問題になっている。

3畳間の生活で三ヶ月、15キロ減ったホリエモン。粗食なら痩せるのだ。アメリカ飲料協会は、小中学校でのコカ・コーラなど糖分の多い清涼飲料の販売を3年後に全面的に停止すると発表した。ビクトリア州政府は、それより早く、年内実施をめどに、公立の小学、中学、高校内の売店や自販機でのジュースの販売を禁止する。州政府によれば、10代の子供の3人に1人がジュースを毎日2缶、10人に1人は1リットル以上飲んでいるという。若者を“死に急がせるな”と言いたくなる。

肥満症には二つある。下腹部、下半身に脂肪が溜まる「皮下脂肪型肥満」で、これを洋なし型という。もう一つは内臓の周辺に脂肪が付く「内臓脂肪型肥満」で、これをリンゴ型という。内蔵型肥満の人で、「高血糖」「高脂血」「高血圧」のうち三つが当てはまる人を「メタボリック症候群」と呼ぶ。これは、いつか時間のある時調べて頂きたい。

下の写真は、オックスフォード・ストリートを歩いていて、見つかった看板だ。
Posted by Picasa
ニューサウス・ウェールズ州保健局の興味ある調査がある。地域別の肥満人口の統計である。肥満に関する調査は、2002年、2003年、2004年に成人健康調査の中で行われた。シドニー・エリアで肥満の男性が最も多いのは、マカーサーとリバプールである。いずれも62・2%と60・7%。女性の肥満が多いのは、バンクスタウンとマカーサーで、48・5%と48・3%。

地域別では、男性の肥満のトップは、ガネダーやナラブリなどのあるバーウォン地方で68・8%、続いてホークスバリーの67・6%。女性の肥満人口が多いのがブロークン・ヒルやファー・ウェストのバリアー地方59・2%とダントツの50%台。男女全体でも、この地方がトップで、62・4%だ。

オーストラリア健康福祉研究所の資料によれば、オーストラリアの子どもの17%は、「太りすぎ」で、6%が「肥満」である。この数は、150万の子どもに相当する。「太りすぎ」の子どもの割合は、この10年でほぼ倍になった。「肥満」の子どもの割合は、ほぼ3倍増だ。同研究所は、子どもの肥満は、毎年1%の割合で増加しており、何かの対策を講じなければ、2025年までにオーストラリアの若者の半数は「太りすぎ」になると警告している。

肥満の原因は、主婦が自宅に居なくなった、自宅で食事をしなくなったことなど、生活習慣の変化とも大きく関連している。大人の肥満は、禁煙の成功とも深くつながっている。社会生活の変化に合わせた国民の健康を守る政策の立案が必要だ。

肥満関連の病気のために、年間10億ドル医療費が使われている。
WAR ON  FAT !! オーバー・ウェートの人に肥満税をかけるというのが、今年のワシントン・ポストのエイプリル・フールのジョークになる予定だったとか。上の信号の写真ではないが、交差点近くの道路に体重計を埋め込む。飛行機も、体重75キロ以上の人から割り増しをとったらどうなのだろう。荒っぽい手を打たないと、死人を増やすだけだ。

嫌糖 禁糖を祈る。

Sunday, August 27, 2006

其の47 「ドガ」の時代へ

(この記事は、週刊ジェンタの2006年8月18日付けに掲載したものです)


5年ほど前、メルボルン郊外にある犬のフィットネス・クラブを訪問してみた。とにかく大繁盛。一見動物愛護の国ならではの様相を呈しているのだが、これは当時、皮肉にもオーストラリアでは、犬の行き場が当時あまり無かったことに起因していた。犬にとって、一番開放感を味わうのは、実はジムだったのだ。今では、犬を放して運動させられる公園などを知らせる情報誌も発行されて、事情は大分かわってきた。

長さ14メートル弱の長方形のプールで泳ぐ。犬かきである。35往復で、距離は1キロ。運動量は10キロ分に相当するとか。中には70往復をこなす犬もいるとか。早めに引き上げようとすると、犬がいやがるのだ。

プールは、ソーラーと天然ガスによって常時24度の水温になっている。コンピューター制御の最新鋭のフィルターを設置して、毎時間水を消毒浄化しており、クリスタルクリアという最高の純度に保たれていて、水質は万全という。

週に230匹がここで泳ぐ。なぜか、一番混み合う日が水曜日。これも人間様のご都合からみたいで・・。水泳は、人間様にもお犬さまにも、最高のエアロビクス。心臓を強健にし、肺活量をつけ、筋力を強める。ウオーキングマシンは、自転車の速度についていける速さだ。1回20分。筋力を高める最高の方法だ。

1週間に2回連れて来る利用者に会った。「うちの犬は1回で2キロ泳ぎます。自分のプールと思っているみたいです」「綱を引きながら犬に合わせて一緒に歩くので、私の健康にもいいです。犬の脂肪もとれますし・・」 犬の脂肪がとれて、あなたがとれないのは、どういうわけかね。

Posted by Picasa ウォーキングで疲れた後は、ハイドロバスと呼ばれる風呂へそして、最後はターボ・ドライヤーで体を乾かして仕上がり。当時でしめて20ドル。金持ちには割安感があるようだ。。「犬が幸せなら、私たちも幸せです」と経営者様は宣う

「人気の秘密の一つは、我が国には、海岸が使用出来なかったり、犬の運動に関する規則の厳しさがあるからです。この3~4年とくに厳しくなってきています。昼間の時間帯に犬を自由に運動させることがなかなか難しいわけです」と経営者様は余裕たっぷりだ。

ニュージーランドでは、海岸で犬の水泳が許されても、隣のオーストラリアでは、常に綱をつけていなくてはならない。

ところが、ここにきて「ドガ」というのが出来た。ドガとは、あの有名な画家ではない。ヨガの「犬バージョン」だ。2003年にニューヨークに出現して、オーストラリアにも2年前に上陸した。これもなぜかビクトリア州はウィリアムズタウン。

週1のクラスのキャパは、8匹+飼い主まで。1回20ドル。犬の話と星占いで2時間を締めるとか。「ドガの実習で犬は落ち着きます。他の友達に会うのも好きなようだし・・」
金持ちの話は浮世離れしている。

「ドガ」とは面白い。前足を広げて床に体をはいつくばらせた格好は、滑稽である。言うことを聞かない犬をドグマ。配偶犬のいない犬をドグシン。狂犬のことをドグマムシとでも呼んでみては・・。

Saturday, August 26, 2006

其の46 フォト・エッセー

Posted by Picasa (この記事は、、週刊ジェンタの2006年8月11付けに掲載したものに、加筆したものです)

 最近、日本で肩を組んで歩いている子どもを見たことがあるだろうか。小学校でも、そして兄弟でも。久しくない。
せいぜい、競技場にきたサッカーのサポーターくらいなものか。でもその姿に幼い子どもはない。

スクラムを組むというのは、スポーツの世界にはある。ラグビーのプレーだ。あれはフォワード8人によるガチンコの力比べで、言ってみれば、押しくらまんじゅうであり、潰しあいであり、これから行くぞというボディランゲージなのだ。特に試合開始の一番最初に組むクラムは、「ファースト・スクラム」といって、戦況の行方を左右するほど大事なスクラムである。当然、相手もその気になって、もう一組の8人が潰しにかかってくる。私はこのスクラムを見るのも大好きだ。

だが、これは勝ち負けのためのスクラムである。

普通の子どもが、街で気軽に肩を組むということが、もうだんだん見られなくなってしまった。肌をふれあう習慣が薄れてきたのかもしれない。

私は、7月22日、中国国境にあと4キロと迫るベトナム、ランソン省ドンダン駅頭に立っていた。私にとってはなつかしい駅である。テレビ朝日のハノイ支局長時代、何回ここへきたことか。9年ぶりの歳月を感じさせないのは、駅舎が9年前と寸分違わなかったからだ。1979年の中越戦争の後のここは、焼かれた列車がそここに放置され、疎開した人も10年はたっぷり帰ってこなかった。中越戦争で、ベトナムは中国をぼこぼこにやっつけた。しかし、この国境の町もぼこぼこに中国に荒らされた。だから、10年後の1989年当時ですら、人口は数十人もいなかったのである。 遠くで煉瓦を叩く音が聞こえるくらい、死んだ街だった。

駅のプラットフォームには、入場券もなく、気軽に入れた。と、帽子をかぶった一人の少年が私の目に入った。なかなかいい顔をしている。暗さがない。手招きしてよんでみた。少なくとも彼は、私が外国人だと分かっているはずだが、躊躇もせずに私の方にきてくれた。すると、貨車の陰に隠れていたもう一人の少年も後からついてきた。兄弟なのかとも思ったが聞かなかった。

写真を撮らせてもらおうと思っていたら、向こうの方からレールの上にしゃがんでくれた。後から来た少年が、気軽にもう一人の少年の肩に手をやった。実に自然だった。やはり、この国では、ハノイでも時々見かけるが、子どもが肩を組むことは不自然ではないのだ。

沢木耕太郎さんが、ホーチミン市で、肩を組んでいる少年に出会ったときのことを、こう書いている。『ふと、私もあんなふうに肩を組んで歩いて見たかったなと思ったものだった。彼らの底抜けに明るい顔が、やけにまぶしかった』と。

肩を組むということは、仲のいいことの証だ。そこには小さな平和がある。なにかとても、さわやかなシャッターの瞬間だった。

時刻は午前11時きっかり。この少年たちの後ろのプラット・ホームには、13時発ハノイ行きの列車に積む荷物がもう置かれてあった。準備のいい国民である。 (北村 元記)

Friday, August 11, 2006

其の45 不幸なペット幸運なペット

(この記事は、2006年8月4日号の週刊ジェンタ紙に掲載したものに加筆したものです)

ペットのことを書こうと思って、日本語インターネットで迷い猫のところを開けてみた。日本にもずいぶん行方知らずのペットがいるものだと、驚いた。
「捕獲してくれたかたに■謝礼金5万 お支払い致します■交渉・相談受けたまります■画像や特徴は サイトに記載してあります」 鯨じゃないんだ。捕獲は大げさじゃないかい。“保護”でどうだろうか?

こんなのもあった。「3/31に家を出たきり帰ってこなくなりました。名前:くりた。1歳半の♂で、黒とグレーのしましまです。虚勢はしていません。黄色い首輪をしています。どんなささいな情報でもかまいませんのでお願いします」 おいおいしっかりしろよ! 猫の虚勢って何だい? 本当は去勢じゃないのかい。

余談だが、オーストラリアにある行方不明のペットを捜索するLDHという機関がある。私が調べた時は、36万件が登録されていた。登録からすると、人気の名前は、犬はジェシー、猫はタイガーであった。

ところが、きちんと帰ってくるペットだって世界にはある。
スコットランドで迷い犬になっていた犬の話だ。ある駅で迷子になった黒のラブラドール犬が、帰りの列車に飛び乗って帰宅したという。その犬は正しい列車に乗り込んだだけでなく、12分先の飼い主の最寄りの駅でちゃんと下車したのだ。「この子は非常に賢い犬」と飼い主。この騒ぎに、二つの警察隊、国鉄管理局が動いたという。


私のメモによると、昨年の9月にアメリカ・ウィスコンシン州で、「エミリー」という飼い猫が迷子になった。それから1カ月後、諦めかけていた飼い主の家に、「エミリーがフランスで見つかった」という意外な知らせが届いた。ウィスコンシン州の倉庫で貨物コンテナに迷い込み、大西洋を渡ってはるばるフランス北東部まで運ばれていたのだった。

「エミリー」のフランス出国には、検疫期間が1カ月必要だった。1ヶ月後、コンチネンタル航空から「すばらしい奇跡のお手伝いをしたい」と、ビジネスクラスのオファーだった。

行きのコンテナ船のクルーズとはうって変わって、帰りは豪華なビジネスクラスの旅。同航空の広報によると、「エミリー」は帰りの機内で出されたサーモン料理には口をつけず、「フランス製キャットフード」を選んだという。

一躍有名になった猫の「エミリー」は、昨年12月1日、米コンチネンタル航空機のビジネスクラスで無事帰還した。ミルウォーキー空港では飼い主のマケルヒニー一家のほか、多数の報道陣が「エミリー」を迎えた。

「エミリー」は付き添いの職員に抱かれて空港に降り立ち、マケルヒニー家の息子、ニック君(9歳)に手渡された。エミリーの母親役、レズリーさん(32)は「以前より少し落ち着いて、賢くなったみたい」と、目を細めた。 フランスの食事は口に合ったとみえ、ニック君によれば「前より大きく、重くなって」帰ってきたようだ。無事に帰れて、よかったニャーオ。

この記事が掲載されて、ちょっとして、読者の千綿さんからお知らせを頂いた。

シドニーでも、グリーブでいなくなった猫が数日後、メルボルンのセント・キルダで
見付かった話が半年くらい前にありましたよね。お聞きになりましたでしょうか。
最近は飼い猫の耳にチップを入れ込むので飼い主がすぐにつきとめられて
こういうエピソードが続出するようですね。私は、引っ越していなくなった飼い主を探して、野を越え、河を渡りして、ついにつきとめる十全に野生を発揮していた昔の猫の話のほうに感激しますね。


私もそう思います。人間が野性味を求めなくなったのでしょうか?人権、犬権、動物権の保護のためでしょうか。 お知らせありがとうございました。

Friday, August 04, 2006

其の44 お化け屋敷(1)

(この記事は、2006年7月28日付けの週刊ジェンタ紙に掲載した記事に加筆したものです)
BBC勤務時代、怪談にはかなり興味をもった。ロンドンを歩く人の半分は幽霊だと言う幽霊評論家がいた。日本では、今が幽霊の季節。歴史の浅さといい、町のたたずまいと言い、どうもこの国には幽霊が住みにくそうな雰囲気を感じる。幽霊話は、太陽が遅くまで輝く夏時間の真夏よりは、やはり夜のとばりが早く降りる今頃の季節がふさわしいのではないか。

シドニー中心部で一番幽霊の出る建物と言われるのが、マッコーリー・ストリートのハイドパーク・バラックス(写真左)。囚人建築家フランシス・グリーンウエイの設計だ。現在は博物館だが、かつては900人の囚人が収容されていた。

このバラックスで幽霊目撃情報が最初に出てきたのは、1950年代に遡る。この建物が、裁判所として使われた時だった。事務官が、囚人の服をきた猫背の人物が廊下をよろめきながら歩いているのを見たと報告した。

それから、その建物の修復中の1980年代に、作業員が、ぼんやりとした形の白衣の女性が前庭のフィグ・トゥリーの下で自分たちの方を見ていた。修復が終わり、博物館として開館すると、奇妙な足音が聞かれた。建物に人物がいなくなると、警報装置が引かれ、電気が点滅した。少なくとも5人の職員が10年の間に自分の職場で見知らぬ人が働いているのに遭遇している。

そこから北へ100メートルほど行ったシドニー・ホスピタル(写真下)。やや陰気なビクトリア風の外観のビルだ。19世紀から20世紀に変わる頃うら若い看護婦がトイレで自殺を図って以来、病棟の中を通って浮かぶように移動していく雲のような霧のなかで女性の幽霊が叫ぶという噂がたった。 Posted by Picasa
聞きつけた新聞が、1980年に看護婦長の話を報じた。「その幽霊に年輩のスタッフは慣れたが、若いスタッフを震え上がらせて・・」と。

もう一つ、高いビルの屋上から身投げした若手医師の魂と思われる幽霊が、1970年に建て替えられるまで病院のあるエレベーターの中に出た。そのエレベーターは旧式の手動式のものだった。人々が辛抱強く自分の階に止まるのを待っていると、手は見えないが、何かがロープを引っ張った。エレベーターは止まらずに上に行ったり下に行ったりした。スタッフの中には絶対乗らないと言い出す者まで出た。エレベーターを頻繁に利用した者は、自分たちと一緒にある陰が移動したと報告した。

1989年には、警備員が白衣の女性が地上階の人気のない手術室で浮かんでいるのを目撃している。白衣の人には、顔もなく、手足もなかったという。

また、別の機会には、同じ警備員が、木製のベンチに腰掛けていると、床の上を3メートルほど椅子とともに押されたという。別の警備員も、椅子に座っていると、重い体のようなものが彼に寄りかかり、彼の体がぐっと下に押されたという。3番目の警備員は、ある日、ドアの下からはがきがすっと入ったの気づいた。ドアの外側に据え付けられた探知カメラには誰も写っていなかった・・。

今晩あたり・・・・・・あなたも、どこかで何かに押されるような経験に出会うかも・・・。

Thursday, August 03, 2006

其の43 豪州版南方郵便機

(この記事は、2006年7月21日の週刊ジェンタ紙に掲載した記事に加筆したものです)


 パプアニューギアに突き出た過疎地のヨーク岬半島。国からの委託を受けた、民間機による長距離の郵便配達飛行がある。サン・テグジュペリの作品「南方郵便機」ではないが、ある日、一五〇〇キロのコースを飛んでみた。

 ケアンズ空港の一角で、夜明け前の朝6時から、郵便物の仕分けが始まった。郵便、新聞、野菜、果物、自動車部品など、一つ一つが過疎地の人たちにとっての必需品だ。郵便配達というより、空飛ぶ宅配便だ。

 「重い新聞は前の方に積んでください」機長のボブ・ハリスが事務員に声をかけた。七時一〇分。郵便機は滑走を始めた。機長のボブの総飛行時間は2万3千時間。日の出後の素晴らしい景色を眼下にしながら、右旋回してローラを目ざした。

ローラは国立公園の真ん中。機長の忙しさがここから始まった。

機長はエンジンを切らず、国立公園のレインジャーに郵便物を手渡し、郵便物受け取りのサインをもらった。次の着陸地レイク・フィールドでは、アボリジニーの男性がすでに待っていた。飛行機のエンジン音で飛来がわかるのだ。機長と短い会話。そして、別れがあった。

4回目の着陸はコーエン空港。第二次大戦時に豪米の空軍基地があった所だ。一〇数人しかいない村人のほとんどが勢揃いしている。まるで初めて飛行機を見に来たように。ボブは、ここでたくさんの荷物を下ろした。郵便機を待ちこがれていた人たちだ。

次ぎのモアトンで、昼食。「30分の休憩だ。サンドイッチをたべなくちゃ」と機長は言った。現地の人がお茶を入れてあげた。りんごをかじる副操縦士。住人と、まるで週に一度の井戸端会議ように話がはずむ。

バタビア・ダウンズでは、郵便受けだけが待っていた。

9回目の着陸はサッドゥリー。飛行場というより農場という感じ。牛の方が多かった。ここで、ボブは受取人を待った。丘の上から、黄色い車を女性が運転してきた。郵便を渡すと、ボブは飛行機に飛び乗った。「See you next time!」 女性が声をかけた。右手親指を突き出すボブ。

一〇回目の寄港地マールナでは、第二次大戦時の名戦闘機ランカスターのパイロットだったという老紳士が出迎えた。パイロット同士ががっちり握手。マールナを出ると、あちこちの山火事を見ながら、ワトソン・リバーに着陸。気心知れた男同士が短い会話を交わし、手紙を渡して、ボブが肩をポンと叩いて別れだ。
  Posted by Picasa
コーエン空港で最後の給油。燃料の入ったドラム缶を運ぶのもボブの仕事。別の会社のパイロット仲間が給油を手伝った。僻地では、皆が友達だ。 「1週間に1回のわれわれのフライトで、いいニュースをもってくることもあるし、悪いニュースの時もあるよ」給油しながら、ボブは言った。  

すべてを届け終えて身軽になった飛行機の操縦桿を握るボブの顔は、沈みゆく夕陽を受けていっそう誇り輝いているように見えた。「今日はいいニュースが届けられただろうか。皆が待っててくれる仕事はやりがいがあるよ」と、左前方のケアンズの町の灯りが少し点り始めた。この日の着陸回数は一六回。総飛行距離一四九六キロ。

しゃく熱の砂漠を彼は歩む。飢えと渇きにさいなまれ、一歩また一歩と。操縦する郵便飛行機が不運にも墜落し、彼はアフリカ・リビア砂漠の真ん中に放り出されたのだ。 西風が吹く。19時間で人間を干からびさせる風だ。のどが痛い。輝く斑点が視界にちらつく。倒れるのは、もうすぐか……。『人間の大地』につづられる、作家サン=テグジュペリの体験記。

このような過酷な南方郵便飛行機の体験とは全く次元を事にするが、もくもくと働き続ける郵便配達のパイロットがいた。そして、過疎に住めば住むほど、人は手紙のありがたさを知る。

Main Menu

Home
はじめに読者の皆様へ

Links

愛のベトナムさわやか支援隊
Google news

Previous

ベトナムからの地震・津波のお見舞い
其の54 学生も楽ではない
其の53 尊敬する韓国人壮年 張 勝雨さん
其の52 我が家に来た”韓流”とは
其の51 ロリキートが問いかけているもの
其の50 歩けよ走れよ
其の49 シドニーの幽霊(2)
其の48 肥満 2
其の47 「ドガ」の時代へ
其の46 フォト・エッセー

Archives

December 2005 January 2006 February 2006 March 2006 April 2006 May 2006 June 2006 July 2006 August 2006 September 2006 October 2006 April 2011

Powered By