其の43 豪州版南方郵便機
(この記事は、2006年7月21日の週刊ジェンタ紙に掲載した記事に加筆したものです)

パプアニューギアに突き出た過疎地のヨーク岬半島。国からの委託を受けた、民間機による長距離の郵便配達飛行がある。サン・テグジュペリの作品「南方郵便機」ではないが、ある日、一五〇〇キロのコースを飛んでみた。
ケアンズ空港の一角で、夜明け前の朝6時から、郵便物の仕分けが始まった。郵便、新聞、野菜、果物、自動車部品など、一つ一つが過疎地の人たちにとっての必需品だ。郵便配達というより、空飛ぶ宅配便だ。
「重い新聞は前の方に積んでください」機長のボブ・ハリスが事務員に声をかけた。七時一〇分。郵便機は滑走を始めた。機長のボブの総飛行時間は2万3千時間。日の出後の素晴らしい景色を眼下にしながら、右旋回してローラを目ざした。
ローラは国立公園の真ん中。機長の忙しさがここから始まった。
機長はエンジンを切らず、国立公園のレインジャーに郵便物を手渡し、郵便物受け取りのサインをもらった。次の着陸地レイク・フィールドでは、アボリジニーの男性がすでに待っていた。飛行機のエンジン音で飛来がわかるのだ。機長と短い会話。そして、別れがあった。
4回目の着陸はコーエン空港。第二次大戦時に豪米の空軍基地があった所だ。一〇数人しかいない村人のほとんどが勢揃いしている。まるで初めて飛行機を見に来たように。ボブは、ここでたくさんの荷物を下ろした。郵便機を待ちこがれていた人たちだ。
次ぎのモアトンで、昼食。「30分の休憩だ。サンドイッチをたべなくちゃ」と機長は言った。現地の人がお茶を入れてあげた。りんごをかじる副操縦士。住人と、まるで週に一度の井戸端会議ように話がはずむ。
バタビア・ダウンズでは、郵便受けだけが待っていた。
9回目の着陸はサッドゥリー。飛行場というより農場という感じ。牛の方が多かった。ここで、ボブは受取人を待った。丘の上から、黄色い車を女性が運転してきた。郵便を渡すと、ボブは飛行機に飛び乗った。「See you next time!」 女性が声をかけた。右手親指を突き出すボブ。
一〇回目の寄港地マールナでは、第二次大戦時の名戦闘機ランカスターのパイロットだったという老紳士が出迎えた。パイロット同士ががっちり握手。マールナを出ると、あちこちの山火事を見ながら、ワトソン・リバーに着陸。気心知れた男同士が短い会話を交わし、手紙を渡して、ボブが肩をポンと叩いて別れだ。

コーエン空港で最後の給油。燃料の入ったドラム缶を運ぶのもボブの仕事。別の会社のパイロット仲間が給油を手伝った。僻地では、皆が友達だ。 「1週間に1回のわれわれのフライトで、いいニュースをもってくることもあるし、悪いニュースの時もあるよ」給油しながら、ボブは言った。
すべてを届け終えて身軽になった飛行機の操縦桿を握るボブの顔は、沈みゆく夕陽を受けていっそう誇り輝いているように見えた。「今日はいいニュースが届けられただろうか。皆が待っててくれる仕事はやりがいがあるよ」と、左前方のケアンズの町の灯りが少し点り始めた。この日の着陸回数は一六回。総飛行距離一四九六キロ。
しゃく熱の砂漠を彼は歩む。飢えと渇きにさいなまれ、一歩また一歩と。操縦する郵便飛行機が不運にも墜落し、彼はアフリカ・リビア砂漠の真ん中に放り出されたのだ。 西風が吹く。19時間で人間を干からびさせる風だ。のどが痛い。輝く斑点が視界にちらつく。倒れるのは、もうすぐか……。『人間の大地』につづられる、作家サン=テグジュペリの体験記。
このような過酷な南方郵便飛行機の体験とは全く次元を事にするが、もくもくと働き続ける郵便配達のパイロットがいた。そして、過疎に住めば住むほど、人は手紙のありがたさを知る。

パプアニューギアに突き出た過疎地のヨーク岬半島。国からの委託を受けた、民間機による長距離の郵便配達飛行がある。サン・テグジュペリの作品「南方郵便機」ではないが、ある日、一五〇〇キロのコースを飛んでみた。
ケアンズ空港の一角で、夜明け前の朝6時から、郵便物の仕分けが始まった。郵便、新聞、野菜、果物、自動車部品など、一つ一つが過疎地の人たちにとっての必需品だ。郵便配達というより、空飛ぶ宅配便だ。
「重い新聞は前の方に積んでください」機長のボブ・ハリスが事務員に声をかけた。七時一〇分。郵便機は滑走を始めた。機長のボブの総飛行時間は2万3千時間。日の出後の素晴らしい景色を眼下にしながら、右旋回してローラを目ざした。
ローラは国立公園の真ん中。機長の忙しさがここから始まった。
機長はエンジンを切らず、国立公園のレインジャーに郵便物を手渡し、郵便物受け取りのサインをもらった。次の着陸地レイク・フィールドでは、アボリジニーの男性がすでに待っていた。飛行機のエンジン音で飛来がわかるのだ。機長と短い会話。そして、別れがあった。
4回目の着陸はコーエン空港。第二次大戦時に豪米の空軍基地があった所だ。一〇数人しかいない村人のほとんどが勢揃いしている。まるで初めて飛行機を見に来たように。ボブは、ここでたくさんの荷物を下ろした。郵便機を待ちこがれていた人たちだ。
次ぎのモアトンで、昼食。「30分の休憩だ。サンドイッチをたべなくちゃ」と機長は言った。現地の人がお茶を入れてあげた。りんごをかじる副操縦士。住人と、まるで週に一度の井戸端会議ように話がはずむ。
バタビア・ダウンズでは、郵便受けだけが待っていた。
9回目の着陸はサッドゥリー。飛行場というより農場という感じ。牛の方が多かった。ここで、ボブは受取人を待った。丘の上から、黄色い車を女性が運転してきた。郵便を渡すと、ボブは飛行機に飛び乗った。「See you next time!」 女性が声をかけた。右手親指を突き出すボブ。
一〇回目の寄港地マールナでは、第二次大戦時の名戦闘機ランカスターのパイロットだったという老紳士が出迎えた。パイロット同士ががっちり握手。マールナを出ると、あちこちの山火事を見ながら、ワトソン・リバーに着陸。気心知れた男同士が短い会話を交わし、手紙を渡して、ボブが肩をポンと叩いて別れだ。

コーエン空港で最後の給油。燃料の入ったドラム缶を運ぶのもボブの仕事。別の会社のパイロット仲間が給油を手伝った。僻地では、皆が友達だ。 「1週間に1回のわれわれのフライトで、いいニュースをもってくることもあるし、悪いニュースの時もあるよ」給油しながら、ボブは言った。
すべてを届け終えて身軽になった飛行機の操縦桿を握るボブの顔は、沈みゆく夕陽を受けていっそう誇り輝いているように見えた。「今日はいいニュースが届けられただろうか。皆が待っててくれる仕事はやりがいがあるよ」と、左前方のケアンズの町の灯りが少し点り始めた。この日の着陸回数は一六回。総飛行距離一四九六キロ。
しゃく熱の砂漠を彼は歩む。飢えと渇きにさいなまれ、一歩また一歩と。操縦する郵便飛行機が不運にも墜落し、彼はアフリカ・リビア砂漠の真ん中に放り出されたのだ。 西風が吹く。19時間で人間を干からびさせる風だ。のどが痛い。輝く斑点が視界にちらつく。倒れるのは、もうすぐか……。『人間の大地』につづられる、作家サン=テグジュペリの体験記。
このような過酷な南方郵便飛行機の体験とは全く次元を事にするが、もくもくと働き続ける郵便配達のパイロットがいた。そして、過疎に住めば住むほど、人は手紙のありがたさを知る。
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