其の40 コインになった男
(この記事は、2005年12月9日のシドニーの週刊ジェンタ紙に掲載した記事に加筆したものです)ある店で、小銭の支払いをしていて、ふと、自分が払った1ドルコインのデザインに目がいった。このコインだとはっと気が付き、小銭入れに戻した。
1945年8月15日に、終戦を寿ぐ紙吹雪が道路一面に散らばるシドニーのエリザベス・ストリートで、多くの喜びの人に交じって、世界大戦終結の喜びを体に表して踊る一人の男を描いたコインが発行された。
オーストラリアでは、終戦直後の象徴的な写真とされてきた。ダンスをする男が誰なのか、長い間論争があったようだ。その“ダンシング・マン”とは、当時電気技師のアーン・ヒルさんが有力らしい。
シドニー・モーニング・ヘラルド紙がアーン・ヒル氏の話として伝えるところによれば、こうだ。
「当時、シドニーで電気技師として勤めていました。上司がやってきたのは午前の10時ごろでした。『すべて終わったよ』といい、会社は店を閉めました。私は服を着替えて町に飛び出しました。道路にいるカメラマンに気づきました。カメラマンがやってきて、私はちょっと飛び上がりました。当時私たちは、週に5日もダンスに通っていました」
これまでに11人も、“ダンシング・マン”として名乗りをあげた人がいたとう。真相はどうであれ、“ダンシング・マン”は、体で平和の到来を表している。
しかし、敗戦国日本では、外でダンスをして喜びを体に表す余裕など皆無だったろう。「終戦を知らされたそのとき、ああ助かった、今日からは空襲で逃げまどうことはなくなった、というほっとした気持ちで安堵感を噛みしめたいっぽうで、これから先の不安感にも襲われ、実に複雑な心境でした。不安の一番はなんといっても、外地へ軍属として派遣されている父が、果たして無事帰還できるかどうかでした」 10歳の時、埼玉県で終戦を迎えた男性の手記である。
次は、外地にいた人の手記である。「終戦の日から、日本人と中国人、韓国人の立場が一日にして逆転しました。連日、日本人家庭への暴力と略奪に見舞われました。南下したソ連兵の宿舎として日本人官舎は立ち退き命令。日本兵の捕虜姿は悲惨で筆舌に尽くしがたい気の毒な光景。あの夏服姿の日本兵が、極寒のソ連へ連行されて、どうして生き延びることができたでしょう。父は、いまもって行方不明。昭和三十年に遺骨のない葬儀を日本でいたしました」(「8月15日の子どもたち」あの日を記憶する会編)
戦争の後遺症は、戦勝国、敗戦国に無関係に戦後も長く引きずっていく。戦後六十年の教訓は、平和とは待っていてはこないものだ、むしろ必死の思いをして、平和を非暴力で勝ち取る努力が求められている、ということだ。
“戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなくてはならない” あのユネスコ憲章の前文を、すべての人が心の中に叩きこまなくてはならない。
ブッシュも、アルカーイダの面々も。金正日も・・。人の心の中で生まれるのだから、直せないことはない・・・。
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