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負け犬の遠吠え 友の会シドニー支部

 

Monday, June 12, 2006

其の32 ”終戦の8月15日”に思う

(この記事は、2005年9月12日付け週刊ジェンタに掲載したものを修正加筆したものです) 

 朝食をとりながら、フォックステルをみていた。原爆投下は戦争終結のため肯定されるか? 「イエス」76%、「ノー」24%。何の権威もない、たかが一民間衛星テレビ局の質問に対する豪州国民のリアクションであるが、現実はそうであると思う。

 アメリカが広島に原爆を投下して、日本が決定的に傷つき弱まった時に、ソ連は、日ソ中立条約を破棄して、対日参戦したのである。宣戦布告である。1945年8月8日のことである。1945年8月15日、日本は、ポツダム宣言を受け入れて、降伏をした。 上の写真は、大東亜戦争終結の詔書である。

終戦と言われる1945年8月15日以降に、日本の北方で何が起きたのか?

ソ連は8月16日に、千島列島の武力侵攻を決め、8月18日に進攻を開始した。千島列島最北端の占守島(シュムシュ島)に上陸し始めた時、日本軍は応戦し、激しい攻防戦をみせた。ソ連側資料では、日本側約1018名、ソ連側死傷者1567名が出た(Racing The Enemy263頁)。

これは第2次大戦における最後の大きな日ソの戦いであり、日本側が停戦のために送った白旗を掲げた使者をも、ソ連側は射殺した。8月23日に局地停戦協定を結び、降伏した。アメリカ軍がいないことをアメリカから確認すると、ソ連は8月28日に択捉島、9月1日に国後島、色丹島に上陸。9月3日には歯舞諸島まで、ソ連人のいない島を一気に占領した。 ここに、スターリンの長年の夢が実現した。


9月2日、日本側の重光葵が、横浜沖のミズーリ号艦上で、降伏文書に調印した。 (写真左)

 先頃、ハーバード大学出版局から出版されたハセガワ・ツヨシ教授(博士)は、著書(Racing The Enemy)で、日本が降伏したのは、広島、長崎の原爆投下ではなく、ソ連の対日参戦であることを見事に解き明かし、広島、長崎への原爆投下が戦争終結をもたらしたという正当化は、もはや維持できないとしている。

すなわち、日本政府・軍も、ソ連軍による日本本土占領を絶対に回避すべしと考え、降伏を決意したというのだ。それは、同時に「日本の降伏が、百万人のアメリカ兵の命を救った」という神話が音を立てて崩れたことを意味する。ビューリッツアー賞受賞者のジョン・ダワーやハーバート・ビックスらも、その点で一致している。
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 スターリンは北方領土割譲を条件に対日参戦したのであり、8月8日の参戦と8月15日の日本降伏を受け入れても、領土の割譲は受けたはずなのに、あえて降伏を受けずに攻撃を仕掛け、領土を奪い取っていった。

 ソ連の参戦と日本の無条件降伏が結びつくことが読めなかったアメリカのアジア政策のミスであり、前記ピューリッツァー賞受賞者のハーバート・ビックスが言うように、人道的背信行為である原爆投下をトルーマンは行ったのだった。

 「原爆の使用なかりせば終戦につながらなかったというのは、幻想にすぎない」と多くの人が抱く見方は、この本で見事に論破されている。その使用は、アメリカのオリジナル・シン(原罪)を一つ増やしたにすぎない。

 冒頭に示したように、原爆の役割について、アメリカ国民と同じ見解をとる人の多い豪州国民の考えを変えるのは容易なことではない。ひとたび説が人々の頭の中に入れば・・・。

 だからといって、日本がアジアや当国で行った戦争行為を肯定するものではない。

 戦争は絶対”悪”である。

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