Weekly Go 豪
負け犬の遠吠え 友の会シドニー支部

 

Sunday, June 04, 2006

其の24 パークス天文台とアポロ計画

(この記事は2005年9月30日付けの週刊ジェンタ紙に掲載したものを加筆したものです)

 あの日、世界で6億人がカウラの北西100キロにあるパークスからの映像をみて感動した。オーストラリアの標準時で、1969年7月21日午前6時17分、だった。

 ニール・アームストロング船長とオルドリン飛行士は、人類で初めて月に第一歩を記した日だった。月から送られてくるテレビ信号を3箇所の追跡ステーションで受けていた。キャンベラの近くのハニーサックル・クリーク追跡ステーションと、カリフォルニアのゴールド・ストーン。そして、パークスの電波天文台(左の写真)。

 3箇所の映像は、ヒューストンの飛行司令部に送られた。最初の数分、NASAは、スイッチを切り替えながら、ゴールド・ストーンとハニー・サックルクリークのましな方の映像を出した。しかし、パークスの映像は抜群によかった。8分後からは、2時間半の残り全部をパークスの映像で通した。
 
 風がないという立地条件で選ばれたパークス天文台だが、1969年のアポロ11号の時は、風速110キロ(時速)を受けて、直径64メートル、重さ千トンのパラボラは崩壊に危険もあったという。幸い、風はおさまった。

 ちなみ、富士山の山頂の最大瞬間風速は、毎秒91メートル。D-51の機関車を持ち上げるエネルギーだそうだ。その強風下で、月にパラボラを月に向けたのである。

Posted by Picasa
 翌1970年4月。アポロ13号に大事がおきた。

 打ち上げから55時間55分後に月へ向かう途中に、司令船の酸素タンクが爆発したのだ。水、電気、生命維持装置に被害はおよび、3人の宇宙飛行士は生命の危機にさらされたが、無事に地球に生還した。その陰に、またパークス天文台(左の写真)の大活躍があった。

 パークスは、アポロ13号では、公式のサポート基地に入っていなかった。

 当時のパークス天文台長のジョン・ボルトン氏の発言だ。
 
 「私たちは悲壮なシグナルを受けるや、われわれはすぐ行動を起こしました。公式の依頼を待つ必要はありませんでした」 

 人の命を救へ・・・。NASAの緊急時のマニュアルは最低24時間の猶予が必要だった。ボルトン天文台長とスタッフは、もう動いていた。パークス天文台は、通常の手順では1週間かかるものを、緊急対応を6時間以内でやってのけた。

 次の8時間、アポロ13号からの微弱な信号を、パークスはしっかり受けていた。その信号は、月に着いたアポロ11号の時の千分の一ほどだったという。緊急事態に突入した宇宙船は、電力をセーブしなければならなかったからだ。

 月への着陸を諦めた13号は、地球へ向かった。残された電力もほとんどないアポロ13号は、エンジンのショート・バーンに奇跡的に成功し、完璧な大気圏再突入軌道に乗せられた。
 
 爆発から4日後、3人の飛行士は、オーストラリア時間の4月18日に無事太平洋上に着水した。声高なアメリカ人の華やかなアポロ計画の陰で、オーストラリアの静かにして見事なサポートだった。

 オーストラリア人の誇れる人命救助だった。

Main Menu

Home
はじめに読者の皆様へ

Links

愛のベトナムさわやか支援隊
Google news

Previous

其の23 ある豪州兵士との語らい
其の22 レーク・ジョージの不思議
其の21 ベトナム戦争ー負の遺産 Ⅱ
其の20 ベトナム戦争ー負の遺産 Ⅰ
其の19 深夜のフルチ?・マラソン
其の18 歩け歩け走れ走れ
其の17 トリアージ
其の16 囚人画家ライセット
其の15 肥満1 痩せようぜ
其の14 捕鯨問題 差異の尊重を

Archives

December 2005 January 2006 February 2006 March 2006 April 2006 May 2006 June 2006 July 2006 August 2006 September 2006 October 2006 April 2011

Powered By