其の19 深夜のフルチ?・マラソン
豪州式チャリティ 深夜のフル珍マラソン
(この記事は、2005年9月16日号の週刊Jentaに掲載されたものに加筆したものです)
読者の中には、シドニーラニングマラソンを走った方も多いだろう。目標目指して走った方、途中で棄権した方、ご感想を聞かせて頂きたい。
私には、忘れられないマラソンの思い出がある。
クインズランド州ヨーク岬半島。半島の西側にウィーパという僻地の町がある。フロンティアの町であり、リオティントという鉱山会社の鉱山のある町だ。道路事情のよい日ですら、12時間かけなければケアンズに出られない。雨季に入れば、病人が出ても、外とのアクセスは空路しかなくなる。
1992年に、ウィーパの鉱山で1290人の労働者のうち30人ほどが解雇された。労働者の気持ちが沈んでる時に、どうしたら、カネが集められるかを冗談まじりに話していた。第1回のマラソンが計画された。13人の勇気ある男性が、町の目抜き通りを、深夜募金活動のためにフルマラソンならぬ、フルチン・マラソンをした。男性が、身につけるのは、ジョギング・シューズと大きな笑顔だけ。あとは、素っ裸。集まったは130ドルだった。そのカネは、即報恩感謝の気持ちでフライング・ドクターに贈られたのだった。
「フライイング・ドクターに仲間の家族が何人救われたことか。それは、我が社会を構成する重要な一部である」と主催者の一人ナイジェルは言った。彼は、リオティントのボーキサイト鉱山の運転手だ。
一見唐突な金集めとも言えるが、社会性に根ざしたマラソンだった。熱帯地方の田舎町のこの行事・・もちろん地元警察もうるさいことは言わない・・町議会も協力的だ。
スペインのパンプローナの牛追い祭りにひっかけて「裸の雄牛のチャリティ・ラン」と銘打った行事があるのはご存じだろう。1998年には、196人が参加して、2300ドルの募金が集まったとか。こちらは、パンプローナと違うのだ。人間しか走らないのだ。私が取材を予定していた1999年のウィーパのフルチン・マラソンには、女性も参加を希望した。「これは男の意志ではないんだが・・・ぁ」と、ナイジェルは言った。ボディペイントも始まって、オーストラリア検疫局からも基金への申し出があっただけではなく、男女にベスト・ボディ・ペイント賞も出すという。
このウィーパの珍マラソンのスタートは、毎年雨期に入った後の最初の日曜日。通常は10月の終わりか11月の初めとなる。その日の午前2時とか3時。「お湿り程度じゃだめ、どっと降らないと、ね」と、主催者のナイジェルは電話で言った。1999年のことだった。私は、しっかり取材の態勢を整えていた。地元のラジオ局が、「今年は、マイケル・ジャクソンも参加し、日本のテレビ朝日も来る」と伝えてしまった。おまけに、休暇に来ていたマドンナも参加するとの噂も広まって、雰囲気は盛り上がった。だが、ティモール情勢が緊急事態となり、残念ながら私の取材は取りやめになった。
当日のビデオ映像を借りて見たが、椅子に座ってマラソンランナーの到来を待つ人。懐中電灯で男性を照らし出す主婦。自宅前に大型の照明器具を備え付けて、スポットライトのサービスする住民。中には、「裸で走ってるんだから、募金にご協力を」と仲間に迫る人。参加した人も沿道の人もすべてが笑顔で慈善マラソンを楽しんでいた。いやらしさはなかった。
この町に何かあったら・・「ひとごとではない」「だまっていられない」 この強き想いが、国境や人種、そしてつまらないイデオロギーをも超えていく。「20世紀のお荷物」と言われたアフリカの債務超過も、世界の人々の慈悲の心で、帳消しにされた。本来それは、政治家が真っ先に示さなくてはならないものなのである。毎年の恒例行事となったウィーパの珍マラソン・・いつの日か訪れて寄付をさせて頂きたいと思っている。
(この記事は、2005年9月16日号の週刊Jentaに掲載されたものに加筆したものです)
読者の中には、シドニーラニングマラソンを走った方も多いだろう。目標目指して走った方、途中で棄権した方、ご感想を聞かせて頂きたい。
私には、忘れられないマラソンの思い出がある。
クインズランド州ヨーク岬半島。半島の西側にウィーパという僻地の町がある。フロンティアの町であり、リオティントという鉱山会社の鉱山のある町だ。道路事情のよい日ですら、12時間かけなければケアンズに出られない。雨季に入れば、病人が出ても、外とのアクセスは空路しかなくなる。
1992年に、ウィーパの鉱山で1290人の労働者のうち30人ほどが解雇された。労働者の気持ちが沈んでる時に、どうしたら、カネが集められるかを冗談まじりに話していた。第1回のマラソンが計画された。13人の勇気ある男性が、町の目抜き通りを、深夜募金活動のためにフルマラソンならぬ、フルチン・マラソンをした。男性が、身につけるのは、ジョギング・シューズと大きな笑顔だけ。あとは、素っ裸。集まったは130ドルだった。そのカネは、即報恩感謝の気持ちでフライング・ドクターに贈られたのだった。
「フライイング・ドクターに仲間の家族が何人救われたことか。それは、我が社会を構成する重要な一部である」と主催者の一人ナイジェルは言った。彼は、リオティントのボーキサイト鉱山の運転手だ。
一見唐突な金集めとも言えるが、社会性に根ざしたマラソンだった。熱帯地方の田舎町のこの行事・・もちろん地元警察もうるさいことは言わない・・町議会も協力的だ。
スペインのパンプローナの牛追い祭りにひっかけて「裸の雄牛のチャリティ・ラン」と銘打った行事があるのはご存じだろう。1998年には、196人が参加して、2300ドルの募金が集まったとか。こちらは、パンプローナと違うのだ。人間しか走らないのだ。私が取材を予定していた1999年のウィーパのフルチン・マラソンには、女性も参加を希望した。「これは男の意志ではないんだが・・・ぁ」と、ナイジェルは言った。ボディペイントも始まって、オーストラリア検疫局からも基金への申し出があっただけではなく、男女にベスト・ボディ・ペイント賞も出すという。
このウィーパの珍マラソンのスタートは、毎年雨期に入った後の最初の日曜日。通常は10月の終わりか11月の初めとなる。その日の午前2時とか3時。「お湿り程度じゃだめ、どっと降らないと、ね」と、主催者のナイジェルは電話で言った。1999年のことだった。私は、しっかり取材の態勢を整えていた。地元のラジオ局が、「今年は、マイケル・ジャクソンも参加し、日本のテレビ朝日も来る」と伝えてしまった。おまけに、休暇に来ていたマドンナも参加するとの噂も広まって、雰囲気は盛り上がった。だが、ティモール情勢が緊急事態となり、残念ながら私の取材は取りやめになった。
当日のビデオ映像を借りて見たが、椅子に座ってマラソンランナーの到来を待つ人。懐中電灯で男性を照らし出す主婦。自宅前に大型の照明器具を備え付けて、スポットライトのサービスする住民。中には、「裸で走ってるんだから、募金にご協力を」と仲間に迫る人。参加した人も沿道の人もすべてが笑顔で慈善マラソンを楽しんでいた。いやらしさはなかった。
この町に何かあったら・・「ひとごとではない」「だまっていられない」 この強き想いが、国境や人種、そしてつまらないイデオロギーをも超えていく。「20世紀のお荷物」と言われたアフリカの債務超過も、世界の人々の慈悲の心で、帳消しにされた。本来それは、政治家が真っ先に示さなくてはならないものなのである。毎年の恒例行事となったウィーパの珍マラソン・・いつの日か訪れて寄付をさせて頂きたいと思っている。
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