Weekly Go 豪
負け犬の遠吠え 友の会シドニー支部

 

Friday, May 26, 2006

其の16 囚人画家ライセット

(これは、週刊ジェンタに2006年5月26日号に掲載されたものを若干加筆して掲載しています)
 画家、彫刻師、石版画家、偽札偽造犯ジョーゼフ・ライセットの作品を集めた展示会が、シドニー博物館で開かれている。偽札偽造犯というところに興味が惹かれた。

 ライセットがシドニーに着いたのは1814年。偽札造りで14年の島流しの判決を受けて送られてきた。だが、一度味わった癖は直らない。カネを稼ぐよりも、カネを作ってしまった。シドニーでの偽札造作りは、ライセットにさらに3年の刑期の延長を決め、ニューカッスルで重労働をする懲罰定住刑となった。

 ライセットと同じ船でオーストラリアにやってきたキャプテン・ジェームズ・ウォーリスが、ライセットの入った刑務所の所長になった。そのウォーリスの指導の下で、ライセットは、ニューカッスル大聖堂の設計図を描いた。教会が完成すると、彼は祭壇周辺のペンキ塗りをした。

 素早く彼の画才(偽札づくりで画才を磨いた側面もある)に気づいたマッコーリー総督は、植民地の姿を記録に留める水彩画家として登用したのである。

 ルース・ウィリアムズ氏(ヒストリック・ハウス・トラスト)は、「アボリジニーの生活は、信じられないほど正確に描かれている。つまり、ライセットは、アボリジニーに接触する特権を持っていたに違いない」と言った。まさに偽札偽造の技を存分に見せる画だった。アボリジニーと接触出来る特権を得たのは、マッコーリー総督の秘書として仕事を通じて、彼の名が植民地にいち早く広まったことを意味した。

 彼はニューサウス・ウェールズやヴァン・ディーメンズ・ランド(当時のタスマニアの名前。オランダ東インド会社総督アンソニー・ヴァン・ディーメンの名にちなんだ)の風景をたくさん描いた。マッコーリー総督は、作品の一部をバサースト伯に送ったこともある。

 そして、ライセットは、1822年に、マッコーリー総督から恩赦を与えられて、本国に戻り、ロンドンで、「オーストラリアの風景」を出版した。博物館には、ニューカッスル、シドニーだけでなく、タスマニアの風景画も多く展示されている。その画には、ヴァン・ディーメンズ・ランドの文字が入っている。ライセットがタスマニアを訪問したという公式記録はないのだが、タスマニアから戻ってきた人の画を参考に描いたとも言われている。

 総督お声掛かりの画家になったのだが、絵画における成功とそれが彼に与えた種々のチャンスでも、ライセットの宿命を断つには十分ではなかった。オーストラリアのビール醸造所のジェームズ・スクワイアとの交友関係で、慢性の飲酒癖は絶てなかった。本国に戻った後ですら、彼は犯罪の道に舞い戻り、1827年に偽札造りで逮捕された。

 ライセットは喉をかき切って自殺を図った。それは、再び遠いオーストラリアへの島流しになるという恐怖感からだった。自殺そのものは未遂だったようだが、彼は病院で手術の糸を抜いてしまう。

 この劇的なドラマが、ライセットの試練、勝利、試練の人生の最終章なのである。謎めいた彼の人生は、ネッド・ケリーやジャック・ドゥーランにも匹敵するものである。本国での再犯後も、絵描きとしての資格を剥奪されるのを恐れて、名を入れずに画を描き続けたという。人一人、銃一つ、窓一つの細かい描写に、偽札造りの技術が克明に浮き出て、一層興味が湧いた。


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