其の8 花のおばさん
ワールンガの花のおばさん
カメラをぶらさげて自宅のあるワールンガを散歩していた2004年の初夏のある日の午後、庭いっぱいに花が咲き誇っている家の前で、あまりの見事さに立ち止まって、家内と花を愛でていた。
と、前から来た老婦人が話しかけてきた。「中に入りませんか?」
突然のことでとまどってしまったが、そこがこの老婦人のご自宅であることがわかった。いつも犬と散歩をしているのを、遠くから何気なくわかっている程度だったが、どこにすんでいらっしゃるのかは知らなかった。初対面の人に、よくも家の敷地内に呼び入れてくれるものだと感心しつつ・・お言葉に甘えてしまった。
中に入ると、自分が埋没するほどの花畑であった。ご婦人を先頭に、犬のジョージーがあとをつけ、私、家内が一列になって続いた。追い越すことはできない細い花壇の道。自分の歩ける分だけの道があればいいと言わんばかりに花に面積をさいている。
話を伺いながら、写真も撮らせてもらった。丹誠込めて育てた数々の花の話をしてくれながら、家の裏側までついていった。自分が生活している離れの家もみせてもらった。家の周りに花があるのではない、花畑の中に家があるのだ。
八重の藤の花を、ことのほか自慢にされていた。八重は美しい色をつけていた。散水制限がある中での花の栽培の苦労話を聞かせてくれた。「私が植えた花の育ちが悪いと、根こそぎ抜いちゃうよ、と花に話しかけるんです」丹誠込めているんだから、ちゃんと育ちなさいよ・・と言いたげに。「親の意見となすびの花は、千に一つの間違いもない」という言い伝えが日本にはある。自ら苦労して作り上げた栽培法こそ、本物といえる。
少し話はそれるが、新渡戸稲造博士の言葉がある。
「 居(お)らざれば不足に思われる人、即ち居らねば困る人になって、始めて一人前の仕事をするものといはれると思ふ」(『新渡戸稲造全集』第8巻所収「世渡りの道」教文館)
花にとって、庭にとって、このおばさんは、なくてはならない人だった。
85歳のお年寄りでは花の写真を撮ることもなかろうと、後日、そのときの花の写真を記念に3枚ほどお届けした。大変に喜んで下さったのである。
「また、来てください」
なかなか言えることではない。うれしいお言葉だった。季節をずらせてまた訪問させて頂くつもりだった。
それからほどなくして、その家が売りに出ていた。ヘリテージにリストされている家だった。ご婦人の名前がドーラ・スコットさんだとわかったのは、その時だった。どうしたのだろうか、と、心配になった。
戦後、年をとったご両親の面倒をみて、1970年代に両親が亡くなって以降も独身を通したいたのだった。その頃のワールンガは、大きな敷地をもった数少ない家しかなかったそうだ。半世紀以上も住み慣れた家を静かに去って、ようやく生まれ故郷のダボに帰ったのだった。
「これで水の心配からは解き放たれます。あちらは散水制限がありませんので、気楽に花を育てられます」
このお年でなお、花の栽培に意欲をみせた。イギリスには、「3月の風、4月の雨が、5月の花を運んでくる」という美しい言葉がある。豪州では、9月の風、10月の雨、11月の花では字余りだ。花とともに生きて来られた方だ。
ドーラおばさんは、見ず知らずの私にも、美しい花壇を作ったというのを記録にとどめておいてほしかったのだと、私は最近、そう勝手には思うようになった。「野に咲く花のように 人をさわやかにして・・」(作詞:杉山政美 作曲:小林亜星)(ここまでは、ジェンタ紙2005年12月16日号に掲載したものである)
ドーラおばさんの庭に入れて頂いてから、1年ちょっとくらいたったろうか。
地元ミニコミ紙に、ドーラおばさんのことが載っているのをみつけた。2006年2月の第1週に、引っ越し先のダボで亡くなられたのだった。
渾身をこめて庭を美しくする園芸家だったように、見受けた。庭のどの花も見事な咲きっぷりだった。
「自分の生活を語るに美しいドレスなど必要のない小柄な女性だった。庭そのものが、彼女のドレスでした。花は、彼女の周りで燃え上がったような色をつけていました。木や灌木の葉や枝が、香りと新鮮さを漂わせていました」というのは、隣人のEvelyn Phillipsさんだ。隣人にして言える見事な言葉だ。
フィリップさんによれば、スコットさんは、戦後の混乱期に助けを必要とする人がいれば、無私の心で援助をし、ペットの面倒を見てほしいと頼まれれば面倒をみるなど、喜んで人のために動いたという。
スコットさんを知っている人にはもちろん、庭を愛でる見知らぬ人にも、常に笑みと挨拶を絶やさなかった、という。異国からきた私たち夫婦も、彼女の優しい、暖かい気持ちを頂いた多くの中の二人である。
フィリップスさんは言う。「彼女は、庭に碑銘を残していったようなものです。そして、彼女が友人、花の愛好家、通りすがりの人にあげた、あまりに多くの植物、球根、切り花が、彼女の形見分けでした。ワールンガに50年住まわれていたので、私たちは去年から寂しくなりました。しかし、あなたの心は常に庭にあります。私たちは、あなたを忘れることができません」
改めてBreaside StとWahroonga Aveの角の家の前に立ってみた。新しいオーナーが花の数を大きく減らしてしまった。とてつもない寂しさを感じるのは、私だけではないはずだ。
ドーラおばさんは、花を育てる心の大切さを教えて下さっていたような気がする。
「人生は白駒(はっく)の隙を過ぐるが如し」(十八史略・宋の国の太祖・趙匡胤)
あっと言う間の人生。多くの人に楽しみと助けを与えたドーラおばんさん。真剣に自分を作っていきたいものだ。
私の心の中では、彼女は「今も花のおばさん」だ。ホームタウンのダボで逝去されたドーラ・スコットさんのご冥福を切に祈らせて頂いた。
カメラをぶらさげて自宅のあるワールンガを散歩していた2004年の初夏のある日の午後、庭いっぱいに花が咲き誇っている家の前で、あまりの見事さに立ち止まって、家内と花を愛でていた。
と、前から来た老婦人が話しかけてきた。「中に入りませんか?」
突然のことでとまどってしまったが、そこがこの老婦人のご自宅であることがわかった。いつも犬と散歩をしているのを、遠くから何気なくわかっている程度だったが、どこにすんでいらっしゃるのかは知らなかった。初対面の人に、よくも家の敷地内に呼び入れてくれるものだと感心しつつ・・お言葉に甘えてしまった。
中に入ると、自分が埋没するほどの花畑であった。ご婦人を先頭に、犬のジョージーがあとをつけ、私、家内が一列になって続いた。追い越すことはできない細い花壇の道。自分の歩ける分だけの道があればいいと言わんばかりに花に面積をさいている。
話を伺いながら、写真も撮らせてもらった。丹誠込めて育てた数々の花の話をしてくれながら、家の裏側までついていった。自分が生活している離れの家もみせてもらった。家の周りに花があるのではない、花畑の中に家があるのだ。
八重の藤の花を、ことのほか自慢にされていた。八重は美しい色をつけていた。散水制限がある中での花の栽培の苦労話を聞かせてくれた。「私が植えた花の育ちが悪いと、根こそぎ抜いちゃうよ、と花に話しかけるんです」丹誠込めているんだから、ちゃんと育ちなさいよ・・と言いたげに。「親の意見となすびの花は、千に一つの間違いもない」という言い伝えが日本にはある。自ら苦労して作り上げた栽培法こそ、本物といえる。
少し話はそれるが、新渡戸稲造博士の言葉がある。
「 居(お)らざれば不足に思われる人、即ち居らねば困る人になって、始めて一人前の仕事をするものといはれると思ふ」(『新渡戸稲造全集』第8巻所収「世渡りの道」教文館)
花にとって、庭にとって、このおばさんは、なくてはならない人だった。
85歳のお年寄りでは花の写真を撮ることもなかろうと、後日、そのときの花の写真を記念に3枚ほどお届けした。大変に喜んで下さったのである。
「また、来てください」
なかなか言えることではない。うれしいお言葉だった。季節をずらせてまた訪問させて頂くつもりだった。
それからほどなくして、その家が売りに出ていた。ヘリテージにリストされている家だった。ご婦人の名前がドーラ・スコットさんだとわかったのは、その時だった。どうしたのだろうか、と、心配になった。
戦後、年をとったご両親の面倒をみて、1970年代に両親が亡くなって以降も独身を通したいたのだった。その頃のワールンガは、大きな敷地をもった数少ない家しかなかったそうだ。半世紀以上も住み慣れた家を静かに去って、ようやく生まれ故郷のダボに帰ったのだった。
「これで水の心配からは解き放たれます。あちらは散水制限がありませんので、気楽に花を育てられます」
このお年でなお、花の栽培に意欲をみせた。イギリスには、「3月の風、4月の雨が、5月の花を運んでくる」という美しい言葉がある。豪州では、9月の風、10月の雨、11月の花では字余りだ。花とともに生きて来られた方だ。
ドーラおばさんは、見ず知らずの私にも、美しい花壇を作ったというのを記録にとどめておいてほしかったのだと、私は最近、そう勝手には思うようになった。「野に咲く花のように 人をさわやかにして・・」(作詞:杉山政美 作曲:小林亜星)(ここまでは、ジェンタ紙2005年12月16日号に掲載したものである)
ドーラおばさんの庭に入れて頂いてから、1年ちょっとくらいたったろうか。
地元ミニコミ紙に、ドーラおばさんのことが載っているのをみつけた。2006年2月の第1週に、引っ越し先のダボで亡くなられたのだった。
渾身をこめて庭を美しくする園芸家だったように、見受けた。庭のどの花も見事な咲きっぷりだった。
「自分の生活を語るに美しいドレスなど必要のない小柄な女性だった。庭そのものが、彼女のドレスでした。花は、彼女の周りで燃え上がったような色をつけていました。木や灌木の葉や枝が、香りと新鮮さを漂わせていました」というのは、隣人のEvelyn Phillipsさんだ。隣人にして言える見事な言葉だ。
フィリップさんによれば、スコットさんは、戦後の混乱期に助けを必要とする人がいれば、無私の心で援助をし、ペットの面倒を見てほしいと頼まれれば面倒をみるなど、喜んで人のために動いたという。
スコットさんを知っている人にはもちろん、庭を愛でる見知らぬ人にも、常に笑みと挨拶を絶やさなかった、という。異国からきた私たち夫婦も、彼女の優しい、暖かい気持ちを頂いた多くの中の二人である。
フィリップスさんは言う。「彼女は、庭に碑銘を残していったようなものです。そして、彼女が友人、花の愛好家、通りすがりの人にあげた、あまりに多くの植物、球根、切り花が、彼女の形見分けでした。ワールンガに50年住まわれていたので、私たちは去年から寂しくなりました。しかし、あなたの心は常に庭にあります。私たちは、あなたを忘れることができません」
改めてBreaside StとWahroonga Aveの角の家の前に立ってみた。新しいオーナーが花の数を大きく減らしてしまった。とてつもない寂しさを感じるのは、私だけではないはずだ。
ドーラおばさんは、花を育てる心の大切さを教えて下さっていたような気がする。
「人生は白駒(はっく)の隙を過ぐるが如し」(十八史略・宋の国の太祖・趙匡胤)
あっと言う間の人生。多くの人に楽しみと助けを与えたドーラおばんさん。真剣に自分を作っていきたいものだ。
私の心の中では、彼女は「今も花のおばさん」だ。ホームタウンのダボで逝去されたドーラ・スコットさんのご冥福を切に祈らせて頂いた。