Weekly Go 豪
負け犬の遠吠え 友の会シドニー支部

 

Saturday, February 11, 2006

其の8 花のおばさん

ワールンガの花のおばさん


 カメラをぶらさげて自宅のあるワールンガを散歩していた2004年の初夏のある日の午後、庭いっぱいに花が咲き誇っている家の前で、あまりの見事さに立ち止まって、家内と花を愛でていた。

と、前から来た老婦人が話しかけてきた。「中に入りませんか?」

 突然のことでとまどってしまったが、そこがこの老婦人のご自宅であることがわかった。いつも犬と散歩をしているのを、遠くから何気なくわかっている程度だったが、どこにすんでいらっしゃるのかは知らなかった。初対面の人に、よくも家の敷地内に呼び入れてくれるものだと感心しつつ・・お言葉に甘えてしまった。

 中に入ると、自分が埋没するほどの花畑であった。ご婦人を先頭に、犬のジョージーがあとをつけ、私、家内が一列になって続いた。追い越すことはできない細い花壇の道。自分の歩ける分だけの道があればいいと言わんばかりに花に面積をさいている。

 話を伺いながら、写真も撮らせてもらった。丹誠込めて育てた数々の花の話をしてくれながら、家の裏側までついていった。自分が生活している離れの家もみせてもらった。家の周りに花があるのではない、花畑の中に家があるのだ。

 八重の藤の花を、ことのほか自慢にされていた。八重は美しい色をつけていた。散水制限がある中での花の栽培の苦労話を聞かせてくれた。「私が植えた花の育ちが悪いと、根こそぎ抜いちゃうよ、と花に話しかけるんです」丹誠込めているんだから、ちゃんと育ちなさいよ・・と言いたげに。「親の意見となすびの花は、千に一つの間違いもない」という言い伝えが日本にはある。自ら苦労して作り上げた栽培法こそ、本物といえる。 


  少し話はそれるが、新渡戸稲造博士の言葉がある。
 「 居(お)らざれば不足に思われる人、即ち居らねば困る人になって、始めて一人前の仕事をするものといはれると思ふ」(『新渡戸稲造全集』第8巻所収「世渡りの道」教文館)
 花にとって、庭にとって、このおばさんは、なくてはならない人だった。

 85歳のお年寄りでは花の写真を撮ることもなかろうと、後日、そのときの花の写真を記念に3枚ほどお届けした。大変に喜んで下さったのである。
「また、来てください」 

なかなか言えることではない。うれしいお言葉だった。季節をずらせてまた訪問させて頂くつもりだった。

 それからほどなくして、その家が売りに出ていた。ヘリテージにリストされている家だった。ご婦人の名前がドーラ・スコットさんだとわかったのは、その時だった。どうしたのだろうか、と、心配になった。

 戦後、年をとったご両親の面倒をみて、1970年代に両親が亡くなって以降も独身を通したいたのだった。その頃のワールンガは、大きな敷地をもった数少ない家しかなかったそうだ。半世紀以上も住み慣れた家を静かに去って、ようやく生まれ故郷のダボに帰ったのだった。

 「これで水の心配からは解き放たれます。あちらは散水制限がありませんので、気楽に花を育てられます」
 このお年でなお、花の栽培に意欲をみせた。イギリスには、「3月の風、4月の雨が、5月の花を運んでくる」という美しい言葉がある。豪州では、9月の風、10月の雨、11月の花では字余りだ。花とともに生きて来られた方だ。

 ドーラおばさんは、見ず知らずの私にも、美しい花壇を作ったというのを記録にとどめておいてほしかったのだと、私は最近、そう勝手には思うようになった。「野に咲く花のように 人をさわやかにして・・」(作詞:杉山政美 作曲:小林亜星)(ここまでは、ジェンタ紙2005年12月16日号に掲載したものである

  ドーラおばさんの庭に入れて頂いてから、1年ちょっとくらいたったろうか。
地元ミニコミ紙に、ドーラおばさんのことが載っているのをみつけた。2006年2月の第1週に、引っ越し先のダボで亡くなられたのだった。

 渾身をこめて庭を美しくする園芸家だったように、見受けた。庭のどの花も見事な咲きっぷりだった。
 「自分の生活を語るに美しいドレスなど必要のない小柄な女性だった。庭そのものが、彼女のドレスでした。花は、彼女の周りで燃え上がったような色をつけていました。木や灌木の葉や枝が、香りと新鮮さを漂わせていました」というのは、隣人のEvelyn Phillipsさんだ。隣人にして言える見事な言葉だ。
 フィリップさんによれば、スコットさんは、戦後の混乱期に助けを必要とする人がいれば、無私の心で援助をし、ペットの面倒を見てほしいと頼まれれば面倒をみるなど、喜んで人のために動いたという。


 スコットさんを知っている人にはもちろん、庭を愛でる見知らぬ人にも、常に笑みと挨拶を絶やさなかった、という。異国からきた私たち夫婦も、彼女の優しい、暖かい気持ちを頂いた多くの中の二人である。

 フィリップスさんは言う。「彼女は、庭に碑銘を残していったようなものです。そして、彼女が友人、花の愛好家、通りすがりの人にあげた、あまりに多くの植物、球根、切り花が、彼女の形見分けでした。ワールンガに50年住まわれていたので、私たちは去年から寂しくなりました。しかし、あなたの心は常に庭にあります。私たちは、あなたを忘れることができません」

 



 改めてBreaside StとWahroonga Aveの角の家の前に立ってみた。新しいオーナーが花の数を大きく減らしてしまった。とてつもない寂しさを感じるのは、私だけではないはずだ。
ドーラおばさんは、花を育てる心の大切さを教えて下さっていたような気がする。

 「人生は白駒(はっく)の隙を過ぐるが如し」(十八史略・宋の国の太祖・趙匡胤)
あっと言う間の人生。多くの人に楽しみと助けを与えたドーラおばんさん。真剣に自分を作っていきたいものだ。

 私の心の中では、彼女は「今も花のおばさん」だ。ホームタウンのダボで逝去されたドーラ・スコットさんのご冥福を切に祈らせて頂いた。




Thursday, February 09, 2006

其の7 スピード・カメラ

飛ばしちゃならない・・

 いつもながら、自分の二重人格ぶりを感じる所が、例のスピードカメラが取り付けられている箇所だ。誰しも、この先スピードカメラありの表示をみれば、自ずとブレーキはかかるはずだが、なかなかそうでもない人がこの世にはいる。
 先日も、戦争中日本人らを収容した捕虜収容所があったビクトリア州のタチュラに旅をしたが、いやいるわいるわ・・パトカーが中央分離帯の木陰に隠れている。対向車がフラッシングして教えてあげられないような場所を選んでいる。ヒューム・ハイウェーは、警察にとってはcashcowなのだ。それだけではない。

 NSWで初めてスピードカメラが取り付けられたのは、1997年のハーバートンネルだと記憶している。現在では、NSWには100台以上のスピードカメラが設置されているという。そこから上がる罰金収入は馬鹿にならない。ちなみに、NSWのスピードカメラが稼いだ2003年度の年収は、1億8千万ドルというから驚きだ。ハワード政権の所得減税分も、折角の庶民の懐に入って、一気に州政府の金庫に戻している感じだ。
 
 私の行動範囲で話をするなら、イースターン・アーテリアル・ロードのカメラは、14万6千ドル。ノース・ウィロビーのイースターン・バリー・ウェーのカメラは、年収61万4千ドルである。ヴィクトリア州では、2002年のスピード違反の罰金収入が、その前年より225%増えたというから、尋常ではない。

 NSWの死亡事故の40%は、やはり速度が原因だという。尊い人命の損失を減らすには、やはり減速が大事なのである。かつて、制限時速270キロに決められている日本の新幹線が、280キロで走行したことがあった。これなど、運転士一人のミスが、多くの乗客を巻き込むことになる。

 私の知り合いのご婦人のように、三週続けて罰金の紙がきて、初めて速度違反がわかり、初めてカメラの存在に気づいた脇目振らずの勇壮な方もいらっしゃる。日本人学校のPTA役員をされて、その活動の日の帰りに、毎週罰金を払っていたことになる。カメラに言い訳は通用しない。

 スピードカメラが導入されているイギリスのある州で、違反ドライバーの傑作言い訳トップ10が発表されたことがあった。★「その日は猛烈な追い風でした。あれは不可抗力だったんですよ」★「激しい腹痛と下痢のために、公衆トイレを探して一刻の猶予もなかったんです」★「ヒースロー空港の滑走路近くを走ってましたね。スピードカメラは、僕の車じゃなくて、車の上の飛行機に感応したんじゃないですか。スピード違反は飛行機の方でしょ」てな具合だ。

 しかし、カメラの前さえうまく切り抜ければ、あとはどうでも・・これはいただけない。使命ある君であり、貴女だ。どんな場合にも、決して急ぐまい。そもそもオージーは飛ばしすぎる。ローカルガバメントにそんなに貢がなくてもいいではないかと、私は思う。

 私が学生時代合宿した富山県の寺の男性トイレに住職の貼り紙がしてあった。
“急ぐとも 心静かに真ん中に 吉野の花も散ればみにくし”
詠み人のいわんとするところは、つまりルールを守ってまっすぐ向かってしなさい。飛沫はだめよ・・と。 つまり、どこでも“飛ばしちゃいけない・・”ということなのだ。

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