Weekly Go 豪
負け犬の遠吠え 友の会シドニー支部

 

Saturday, September 16, 2006

其の50 歩けよ走れよ

(この記事は、2006年9月8日付けの週刊ジェンタに掲載したものに加筆したものです)

 オーストラリア人は、どこでも歩き、そして走る。昼食時間帯、背広から着替えて、汗びっしょりで走るサラリーマン。オフィスの中にシャワー室を設けることが、社員の福利厚生施設になるとも聞いたし、チフリー・タワーにあった私の現役時代の支局の隣の職場には、4人分のシャワー室が設備されていた。

 シドニー五輪マラソンの覇者「ナオコ」は今でも人気者だ。 「歩く者」「走る者」は、仲間として尊敬されるのだろう。

 パトちゃんに勤務されている知りあいの末広守さんは、毎日通勤に5キロをウォーク。土日は、最初の3キロを走り、後は歩きで合計10キロ。この4年弱で2足3文ならぬ2足半の靴をつぶした。通勤費で浮いたカネは靴に消えるのだ。

 「ウォーク」には、いろいろなネーミングがある。フィットネス・ウォークス、ブッシュ・ウォークス、レジャーウォークス、犬同伴ウォークス、案内付きガーデンウォークスなどなど。毎年恒例のシドニー北部からボンダイ・ビーチまでのシティ・トゥ・サーフマラソン。今年で18年目だったか。今や、女性の参加者も四十九%と裾野を広げ、参加者六万を超える世界有数の市民マラソンに成長した。

 昨今の醜い肥満を考えると、カロリーの消費は結構なことだが、困ったことに太った人はあまりこういうイベントに参加しないのだ。むしろ、コーラの瓶とチップスをもって、眺めている。肥満者が気軽に参加できる”WAR ON FAT ”ウォークなどを企画する人はいないのか。

 ハワード首相は、行く先々で歩く。ある年、東京・赤坂の迎賓館に滞在中の3日間、毎朝六時から三十分間ウォークした。ハワード首相が迎賓館に滞在中にたまたま担当だった私の友人の帝国ホテルのホテルマン山本博さんが首相に同行した。「首相は速歩でしたね」と、彼は言った。山本さんは、平気で30キロを走れるくらい鍛えている方なのだ。そして、ハワード首相の速歩は、「健康・オーストラリア」の輸出である。

  Posted by Picasa イギリスの若き自然学者チャールズ・ダーウィンが、世界一周の途中、ビーグル号でシドニーに着いたのは1836年1月12日だった。

 ダーウィンは、シドニーで、ガイドと馬を借り上げ、内陸まで旅をした。ブルーマウンテンを越えながら、ある滝の所で止まった。ダーウィンは、その渓谷を「下は大きな入り海か湾か。部厚い樹林に覆われて、それ以外の表現を私は思い出せない」と書いている。その道にチャールズ・ダーウィン・ウォークという名前がつけられた。(写真は、ウェントワース・フォールに近い所だ)ダーウィンがブッシュ・ウォークをして170周年の今年は、滝までのガイド付きの記念ウォークが毎日曜に行われている。

 オーストラリア・オックスファム主催の世界の貧困撲滅のためのウォークは、今年で40年目。「あなたの一歩が、世界の貧困を助ける」自他共の幸せを目指して、さあ歩こう。互助精神は、オーストラリアの文化である。

Monday, September 11, 2006

其の49 シドニーの幽霊(2)

(この記事は、2006年9月1日付けの週刊ジェンタに掲載した記事です)

ボークルーズの地名は、ボークルーズハウスからきている。勢の限りを尽くした一風変わった魅力をもつ邸宅から来ている。

1827年から1862年まで、このゴシック調の邸宅は、有名な探検家ウィリアム・C・ウェントワースと、その妻サラーら大家族の邸宅だった。この邸宅には、ウェントワースら家族の他、囚人、自由人等の今風にいうお手伝いさんが住み働いた。その中に、アイルランドの囚人準男爵がいた。彼はアイルランドから152トンの土壌を輸入した。そして、家の周辺の掘りに敷いた。ヘビと英国税関管理事務所長のキャプテン・ジョン・パイパー、そしてオーストラリア憲法の父ウィリアム・C・ウェントワースから守るためだった。

 著名な系譜、長い歴史をもつ家に固有の幽霊がでるのは、むしろ当然である。しかし、それは、この家に精神が染みついているこれら有名人のものではない。 その幽霊とは、この邸宅の最初の所有者、キャプテン、トーマス・デネットのものと思われる。このトーマス・デネットは、現在の邸宅が建築されるだいぶ前の1803年に亡くなった。

 この幽霊のお気に入りの出没場所は、前側の客室である。オーストラリアで最も素晴らしいビクトリア朝の部屋とされているところだが、これには少々議論の余地がある。
 
Posted by Picasa過ぎ去りし日には、住人たちがこの部屋の湾側の窓で休もうとして、芝生や花壇をじっと見ていると、彼らの腕、肩や喉が突如冷えた指でぐいと掴まれるのである。悲鳴が静寂な雰囲気を引き裂いた。男性は武器を探し、女性は臭い付きの塩を探し回った。大混乱が展開されている間、子どもは泣き、召使いは隠れた。


もし、今日でも明日でもボークルーズ・ハウスを訪れるな
ら、幽霊に出現に翻弄されることなく、この邸宅を覆うのどかな雰囲気を満喫できる。その幽霊は長い間見られていない。そして、もし幽霊について質問するなら、館長は、ボークルーズの幽霊についてはいかなる話しも知りませんというだろう。

 ここから少し先にあるワトソンズ・ベイのザ・ギャップ(左の写真)にも、幽霊の話がある。サウス・ヘッドの国立公園、特にザ・ギャップは、言わずと知れた自殺の名所。これまで、ここで命を絶った人は何人くらいいるのか、百人単位なのか。身投げした多くの者の幽霊がここで報告されている。

かつては、取り壊した家の基礎が捨てられていたり、壊れた硝子が散乱し、岩肌をちょこちょこ走るトカゲがいたり、虫の一団が群れ飛んだり、誰が見てもあまり気分がいいとは言えない風景の時代があった。昼間ですら、岩の間に怪奇の姿を見た人がいるという。

1959年9月22日、ニュージーランドの旅行者が、ザ・ギャップの写真を撮った。そこには人がいなかったのだが、現像してみると、ネガにはクリフの端に特定できない人物が立っているのが写っていたという。まさに、その人物は身投げしようとしているところであった。(了)

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