其の9 伊豆・河津の桜
河津の夜桜
忙しい日程での一時帰国。連日人に会い続ける中、一日、家内と年来の願いだった本州で一番の早咲き、伊豆の河津桜を見に行った。 河津桜の原木は、河津町の飯田勝美さん(故人)という方が、一九五五年頃の二月のある日に河津川沿いの冬枯れの雑草の中で芽吹いている桜の苗を偶然見つけたものという。
その原木は、伊豆急河津駅に近い飯田さん宅の庭にあった。現在は、樹齢約五〇年・樹高約一〇m、樹巾約一〇mにまで成長していた。一九六六年から開花が見られ、1月下旬頃から淡紅色の花が約一ヶ月にわたって咲き続けた。伊東市に住む勝又光也さんという方が一九六八年頃からこのサクラを増殖し、このサクラの普及に大きく貢献した。この桜は河津桜と命名され、一九七五年に河津町の木に指定された。
今年は大寒波のせいもあって、私が訪問した時は、木によっては八分咲きや満開があったが、全体としては三分咲き。濃いピンクが特徴の河津桜。寒さの中を、多くの人が訪れていた。そして、何故か、上流の方が早咲きになっていた。「いつもそうなんです」と地元の方は言う。パッと散る染井吉野とちがって、これから三月上旬までじっくり過程が楽しめる。
一端戻って、宿で夕食をとって、今度は夜桜見物に行った。
見物客をも凍えさせる寒さで、人はほとんどいなかった。桜は、不気味な静けさの中でライトアップされていた。と、川端で、プロ仕様のカメラをもった一組の老夫婦が、桜の花びらにレンズを向けていた。「奈良から来たんです。知人がいい写真を撮っていたもので、私たちも負けずにきました」と言っていた。その方のアドバイスで、私たちはさらに上流にと歩を進めた。
そこに、自転車に乗ったご婦人が通りかかった。「もっと先に、桜はありますか?」と声をかけた。私たちが寒そうに見えたのか、そのご婦人は、自転車を降るとすぐ、まだ温もりが十分残っていた今川焼きを下さった。そして、いろいろな説明をして下さった。そうしているうちに、「私たちオーストラリアからきました」というと、そのご婦人はびっくりされた。
ご婦人は、「ちょっとその先を歩いていてください」と言い残して、私たちのもとを去った。なんと十分後、また自転車で私たちの元に戻ってきた。郷土興しのカーネーション4輪、息子さんが郵便局に勤務されているとかで、昨年の桜の記念切手シート、それに大きなミカンを2個も持って。カメラ片手に行ったので、私たちには何もおみやげはなかった。ご婦人と一緒に記念撮影をして住所を教えて頂き、別れた。親切な方がいるものだと思った。
桜を見つけた飯田さん、桜を増殖した勝又さん、そして伊豆の温泉の湯より暖かい町民の心が、全く無名だった河津桜を全国区にまで格上げしたのだと実感した。濃いピンクの花びら一枚一枚にそういう気持ちが染み込んでいるのだ。その間五〇年。木を育てることに、時間と丹誠込めた気持ちが如何に必要かがわかる。
また、いつか行ってみる・・私たちの心の中はもうリピーターになっている。
忙しい日程での一時帰国。連日人に会い続ける中、一日、家内と年来の願いだった本州で一番の早咲き、伊豆の河津桜を見に行った。 河津桜の原木は、河津町の飯田勝美さん(故人)という方が、一九五五年頃の二月のある日に河津川沿いの冬枯れの雑草の中で芽吹いている桜の苗を偶然見つけたものという。
その原木は、伊豆急河津駅に近い飯田さん宅の庭にあった。現在は、樹齢約五〇年・樹高約一〇m、樹巾約一〇mにまで成長していた。一九六六年から開花が見られ、1月下旬頃から淡紅色の花が約一ヶ月にわたって咲き続けた。伊東市に住む勝又光也さんという方が一九六八年頃からこのサクラを増殖し、このサクラの普及に大きく貢献した。この桜は河津桜と命名され、一九七五年に河津町の木に指定された。
今年は大寒波のせいもあって、私が訪問した時は、木によっては八分咲きや満開があったが、全体としては三分咲き。濃いピンクが特徴の河津桜。寒さの中を、多くの人が訪れていた。そして、何故か、上流の方が早咲きになっていた。「いつもそうなんです」と地元の方は言う。パッと散る染井吉野とちがって、これから三月上旬までじっくり過程が楽しめる。
一端戻って、宿で夕食をとって、今度は夜桜見物に行った。
見物客をも凍えさせる寒さで、人はほとんどいなかった。桜は、不気味な静けさの中でライトアップされていた。と、川端で、プロ仕様のカメラをもった一組の老夫婦が、桜の花びらにレンズを向けていた。「奈良から来たんです。知人がいい写真を撮っていたもので、私たちも負けずにきました」と言っていた。その方のアドバイスで、私たちはさらに上流にと歩を進めた。
そこに、自転車に乗ったご婦人が通りかかった。「もっと先に、桜はありますか?」と声をかけた。私たちが寒そうに見えたのか、そのご婦人は、自転車を降るとすぐ、まだ温もりが十分残っていた今川焼きを下さった。そして、いろいろな説明をして下さった。そうしているうちに、「私たちオーストラリアからきました」というと、そのご婦人はびっくりされた。
ご婦人は、「ちょっとその先を歩いていてください」と言い残して、私たちのもとを去った。なんと十分後、また自転車で私たちの元に戻ってきた。郷土興しのカーネーション4輪、息子さんが郵便局に勤務されているとかで、昨年の桜の記念切手シート、それに大きなミカンを2個も持って。カメラ片手に行ったので、私たちには何もおみやげはなかった。ご婦人と一緒に記念撮影をして住所を教えて頂き、別れた。親切な方がいるものだと思った。
桜を見つけた飯田さん、桜を増殖した勝又さん、そして伊豆の温泉の湯より暖かい町民の心が、全く無名だった河津桜を全国区にまで格上げしたのだと実感した。濃いピンクの花びら一枚一枚にそういう気持ちが染み込んでいるのだ。その間五〇年。木を育てることに、時間と丹誠込めた気持ちが如何に必要かがわかる。
また、いつか行ってみる・・私たちの心の中はもうリピーターになっている。